選挙戦が盛り上がっていない。
新聞はそれなりに報じているが、テレビがほとんど報道しないことが気になる。本来、選挙の争点を分かりやすく提示して、投票率を上げることをめざすべきではないのか。
ところで、上田晋也の「サタデージャーナル」(TBS)が6月で終ったが、その最終回(6月29日)で語った内容が話題になっている。https://lite-ra.com/i/2019/06/post-4807-entry.html
「いま世界が良い方向に向かっているとは残念ながら私には思えません。よりよい世の中にするために、いままで以上に、一人ひとりが問題意識をもち、考え、そして行動に移す。これが非常に重要な時代ではないかなあと思います。
そして、今後生まれてくる子どもたちに『いい時代に生まれてきたね』と言える世の中をつくる使命があると思っています。
私はこの番組において、いつもごくごく当たり前のことを言ってきたつもりです。しかしながら、一方で、その当たり前のことを言いづらい世の中になりつつあるのではないかなと。危惧する部分もあります。もしそうであるとするならば、それは健全な世の中とは言えないのではないでしょうか」
これはテレビに向けられた言葉でもある。よく言ったものだ。
2013年6月に「上田晋也の緊急報道!」(TBS)という特番で拉致問題を扱ったとき、私はアドバイザーとして横田早紀江さんとのインタビューなどで取材をお手伝いしたことがあった。上田さんは拉致問題をきちんと勉強しており、早紀江さんとの応対も配慮をつくしたもので、感心させられた。
タレントまで「社会派」が排除される時代なのか。https://tvtopic.goo.ne.jp/program/tbs/35124/646452/
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報道写真家の渋谷敦志さんと今福龍太さんの対談の続き。
話は、時代の大きな状況に移っていく。まさに現代特有の問題で、今福さんはこれを切迫した重要な事態であると認識している。
今福:
ここからさらに厳しい、大きな話になる。
イメージ、像を搾取するという宿命が写真にはあるが、それが写真家個人の倫理や道徳をはるかに超える問題になってしまった社会、つまり、この監視社会の問題だ。像、イメージの普遍的搾取時代に突入してしまっている。
あらゆる場所に監視カメラがあって我々の像を盗み取って、それを我々の何の許可もなく結局は権力が使っている状況。数年前、ぼくは「すべては補足されている」と言ったが、すべてはカメラによって補足されている。
スーザン・ソンタグという批評家が、2004年にアブグレイブ収容所でイラクの人を虐待して面白半分に写真を撮ってネットに載せて戦利品であるかのように自分たちの優位性をカメラの像として世界中にばらまいた事件があったとき、これをみてthe photographs are us「写真は私たちだ」と言った。
匿名性の中ですべての像を奪い取られて、それが無制限な空間に投げ出されていくという状況こそが、今の我々の存在そのものを示している、という意味で、「写真は私たちだ」といった。
それから15年後の今は、ネットカメラ、一台一台のカメラがインターネットに全部つながって、ブラウザからすべての写真をダウンロードしてチェックできるようになっている。
しかもカメラの性能が上がって、高度なカメラは単に「顔認証」だけではない。例えば、ロシアが開発した顔認証からさらに発達した装置では、顔の微妙な揺れや動き、振動を読み取って、ある一定の動きをしている表情は「緊張している」、「攻撃性がある」というふうに読み取る。危険人物を割り出すためのモニタリングに、そういう顔認証のシステムがつかわれていて、さらに静脈の情報とか指紋、瞳虹彩、声紋、さらにDNAまで含むありとあらゆる生体の認証システムで、高度化されたカメラによって我々は日常的につねの誰かによって補足されている状況。
我々はそういう状況を犯罪抑止、セキュリティのためにいいことだと正当化しかけている。でもそれは一番危険なことだ。いくら犯罪捜査に役立つと言っても、カメラのもっている究極の悪辣な方向性として捉えていかなければならないと思う。
写真にかかわる倫理の問題は、個人をはるかにこえて社会全体に偏在している。
カメラの監視システム、テクノロジーから我々がどういう形で人間の尊厳を守り抜くかというところに来ている。つまり万人の問題になってきている。
渋谷さん、個別の局面での模索は、究極的にはそこまでつながっている。そこを写真家にはもっと自覚的にいてほしい。そこまで自覚して写真を撮っている人は少ないかもしれない。
渋谷:
最近のスクールバスの事件(5月28日川崎で19人が殺傷された事件)で取材するメディアが、こころない取材だと批判されてましたけど、それを支えている視聴率であったり、人の関心であったりする。そういうことが、監視されて自分を縛っている状況に加担してしまっているのかなと。
今福:
アフリカ、ミャンマーで渋谷さんが長年こだわって一人の少女を追いかけて、個人とのかかわりの中で、苛烈な現場とかかわり続けている。
そういう個人としての写真家と場所にいる個人のかかわりというよりもっと大きな匿名の眼がいて、それがわれわれ全員の像を365日24時間奪い続けているということも感じていかなくてはならいのではないか。
渋谷:
ぼくも答えを持っていないが、自覚しているとしていないとは違うと思う。
つねに先生からはこういう楽しい学びや気付きを与えられる。
今福:
ぼくらが問題化すべきは、あきらかにそちらの方であって、一人の個人の問題はそんなに巨大な実存的な問題として捉える必要はない。
我々はもっと大きな力にやられそうになっている。
(つづく)