ウイグル弾圧の深層をえぐる川嶋久人写真展

マグマ包む薄皮の上で人は生き(千葉県 片柳雅博)

 20日の「朝日川柳」に載った一句。

 「動かざること山の如し」などと大地や山は不動のように思っているが、ほんとうは私たちは地球全体からみると、対流するマントルの上に乗ったほんの薄皮のようなプレートの上に暮らしていることをトンガの火山噴火は思い出させてくれる。

 地球はいまも激しい変化の過程にある。地表を覆う十数枚のプレートの相互運動が、地震、火山噴火、津波、山脈の形成を引き起こし、それが生き物の進化に寄与する。

 地球上の地質を「安定大陸」と「変動帯」に二分すると、地震、火山活動の激しい「変動帯」は、プレートがぶつかり合う境目の、ごく狭い場所に限られる。

 北米プレート、ユーラシアプレートフィリピン海プレート、太平洋プレートと4枚ものプレートがぶつかる日本列島は、世界でも珍しい超「変動帯」だ。地球をひとつの生命体=ガイアとしてみれば、ここは生命の営みの最前線である。

 この日本列島の先人たちの、自然を畏れ敬う心を取り戻したい。
・・・・・・・

 川嶋久人さんの写真展「失われたウイグルを観てきた。

 昨年末、中国・新疆(しんきょう)ウイグル自治区の民族問題に追った作品で川嶋さんは名取洋之助写真賞を受賞。その受賞作品展が1月21日から27日まで東京・六本木の富士フイルムフォトサロンで開かれている。

 川嶋さんの写真は、10年以上にわたってウイグルの人々を記録してきただけあって、ジェノサイドとまでいわれる弾圧の前後の違いをくっきりと写し出す。中国共産党の人権抑圧の実態を有無を言わせぬ説得力で証明している。川嶋さんのウイグルの人々に対する思いの深さに胸を打たれると同時に、弾圧のあまりのすさまじさに寒気を感じた。

f:id:takase22:20220124002232p:plain

川嶋さんは2018年に現地を訪れて、変わりように愕然としたという。13年にはにぎわっていたバザール(左)が18年には自由な往来が禁じられていた(右)。川嶋久人撮影、アサヒカメラより

 川嶋さんは大学時代から中国に関心をもち、2009年のウイグル族の学生らと治安部隊との衝突のあと現地を訪れた。大学卒業後、ウルムチの新疆大学に留学したが、それはウイグルの伝統文化と見知らぬ人も温かくもてなす人情に惹かれたからだったという。

 以下は『アサヒカメラ』の記事から引用する。
https://dot.asahi.com/dot/2022011400035.html?page=1

《そんな素朴な人々の魅力に引かれた川嶋さんは09年以降、ほぼ毎年のように同自治区を訪れ、住民の暮らしを丹念に撮影してきた。それだけに、18年に目にしたあまりの変化にがくぜんとし、憤りを感じたという。

「もう、まったく状況が変わっていたんです。どこに行っても、警察官、監視カメラ、検問所の数が劇的に増えていた。人々の顔からは笑顔がなくなっていた。その背景にあるものは何かと言えば、当局の監視ですよ。イスラム教を信仰する彼らをテロリスト予備軍と見なして、何もできないようにしていた。もう、この政治的現状を撮るしかないな、と思いました」

 川嶋さんは状況が大きく変化した理由について、「16年8月に新疆ウイグル自治区のトップが、陳全国という人に変わったんです」と、説明する。

「彼の前任地はチベット自治区で、チベット民族の弾圧で辣腕(らつわん)をふるった人なんです」

 17年4月、新疆ウイグル自治区で「脱過激化条例」が施行されると、ひげをのばしたり、顔全体を覆うブルカを着用したりすることが禁じられた。

「以前はイスラム教のお祈りの時間になると、道端に車を止めて、礼拝している人を見かけたんですけれど、もう、決められた場所でしか礼拝はできません。スカーフを頭の部分に巻くのは禁止されてはいないんですが、みんな当局に目をつけられるのを恐れて、ふつうのスカーフでさえ身につけていない」

 ウイグル族の住民が最も恐れているのは、強制収容所に送られることだという。中国政府はあくまでも職業訓練を目的とした施設としているが、収容の強制性や施設内部での拷問などが徐々に明るみに出て、国際的な問題となっている。

「中国政府は、『信仰の自由はある』と言っているんですが、実際には、1日5回礼拝するような信仰心が強くて、影響力がある人はどんどん強制収容所に入れられている。みんな、それを知っているから、お祈りに行くのはやめよう、スカーフを巻くのはやめようと、どんどん萎縮してしまっている」

 川嶋さんは18年の1月と9月に、それぞれ1カ月ほど現地に滞在した。

「メインはカシュガルとホータンで、いままで訪れたところを撮影しました」

 以前の街の様子と比較するように撮影した作品を見せてもらうと、その変わりように言葉を失った。

 かつて多くの人々でにぎわっていたモスクや市場は閑散としている。入り口には物々しいゲートが設けられ、警察官に身分証明書を提示しなければ中に入れない。モスクが破壊され、駐車場になってしまった場所もある。

f:id:takase22:20220124002552p:plain

10年に撮影された立派なモスク(左)が18年には完全に破壊され駐車場になっている(右)。川嶋久人撮影、アサヒカメラより

 

 写真撮影を断られることが多くなり、自宅に招かれることともほとんどなくなったという。

「外国人とつながりのあった人たちは強制収容所に送られてしまった。だからもう、家には入れてくれないんです」

 写真を撮っていると、警察に通報されることも増えた。

「警察署に連れて行かれて、『どこから来た?』『目的は何だ?』と、取り調べを受ける。だいたい2~3時間。長いときは6時間くらい。取り調べが終わると、車に乗せられて、その場所から強制退去させられる」

 川嶋さんが前回、同自治区を訪れたのは19年夏。

「これがコロナ前に訪れた最後になりました。3週間、滞在したんですが、もう何もできなかったです。常に誰かにつけられているのが気になって、写真を撮るどころではなかった。知り合いに会っても、すごくよそよそしくされました」

 当局の尾行には、相手に気づかれないように尾行するやり方と、それとは逆に、あからさまに尾行していることを相手に見せつけて威圧するやり方がある。川嶋さんの場合は後者だった。

「街によって違うんですが、例えば、ホータンでは警察官がずっとついてきた。制服は着ていませんが、無線機とかを持っているので、警察官と分かる。別の街では、一般人のような人がホテルのロビーでずーっと待機していて、ぼくが表に出ると、それと分かるように尾行してきた」

 実はこのとき、川嶋さんには撮影以外に、もう1つ別の目的があった。

「在日のウイグル族の人に、『親と連絡がとれない』と言われ、『生存しているのか、故郷を見てきてほしい』と頼まれたんです」

 しかし、「無理でしたね。たどり着けなかった」と、声を落とす。

「検問所がたくさんあって、ぼくがどこを移動しているか、常に把握されていた。交通機関のチケットも売ってくれない。近づくことさえできなかったです」

 身近なDVなども含めて、人権侵害は人目に触れないところで深刻化する。川嶋さんに対する当局の執拗な尾行は、これまで撮り続けてきた作品が「ウイグル問題」の核心に迫ることを証明しているようだ。
(アサヒカメラ・米倉昭仁)》

 

 東京の展示はあと数日しかないが、関心のある方はぜひ観ていただきたい。
 2月4日から10日まで、富士フイルムフォトサロン大阪で巡回展も予定されている。