カンボジアで森の中の白熱教室

4日から海外に行っていて、きょう帰国した。
カンボジア森本喜久男さんに会ってきた。
彼が廃れかけたカンボジアの伝統の絣を再興する事業を続けていること、それがシェムリアップの田舎の荒地に新しい村「伝統の森」を作るところまでいったこと、私がそこに5月に行ってきたことはすでに紹介した。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20150511

前回訪ねたとき、「目標の9割まできた」と森本さんが言うので、では、やり残したことはないのかと聞いた。森本さんの答えは、
「一つある。日本の若者が気にかかっていて、メッセージを言い残したい」だった。
それを聞いてから、なんとかしなければ、とずっと考えていた。
私は森本さんとは1984年にタイで出会って以来30年以上の付き合いだ。彼がはじめて織物のプロジェクトをはじめたいきさつも知っているし、タイの東北の村に一緒に泊まりに行ったりもしている。東南アジアの土地鑑もある。
おこがましいけれど、私がそのメッセージを聞き取る役目をするのがよいのではと思った。

森本さんは、がんで、余命宣告されている。
だから、ほんとはもっと早く、7月か8月に行くつもりだったのだが、仕事が立て続けに入って身動きがとれなかった。仕事がちょっとひと段落したこの時期を逃したらいつ行けるかわからないと、遅い夏休みをとって出かけたのだった。

村に4泊。毎日、午前と午後、インタビューした。
いま時代はどこへ行こうとしているのか、求められる哲学とライフスタイルはどんなものか、伝統と未来、日本とアジアの関係と民族文化の融合といった大テーマから、日本の若者へのアドバイス、例えば、自分に自信を持てるようになるには、失敗を恐れないためには、どうやって自分の夢を見つけるかなどまで、縦横に話し合った。
私自身、人類は大きな転換点にあって、一人ひとりの生き方も問われていると思っているので、非常に多くの点で意見が一致した。
私はこの連日の対話を「森の中の白熱教室」と呼んで楽しんだ。
聞き手は私一人で、ぜいたくなものである。

この聞き取りををどういう形にできるか、これから考えたい。

きょうはスナップで滞在を紹介しよう。


電気のない村では、もちろんテレビもない。朝は鶏のけたたましい声で目を覚ます。ベッドの窓の外では牛が草を食んでいる。


森本さんの体調のよい時間に、ICレコーダーとビデオカメラを回しながらインタビュー。
高床の風が吹き抜ける居心地のいい空間で、時間を忘れて白熱教室は続いた。


村一番のデザイナー。いつもそばに子どもがいる。犬や鶏も駆け回っている。こういう環境が安心して働けて世界一の布を生み出せるのだと森本さんは言う。
村でこれを見て、事業所に子どもを連れてくることを許可する日本の経営者も出てきた。
実は、京セラ創業者の稲盛和夫氏ほか数多くの経営者がこの村を訪ねている。


滞在中、広島からスタディツアーの一行がきた。
村への訪問者は一昨年700人、去年1300人、今年は9月までで1300人と急増している。


撮影のために村の絹の絣をまとってもらった。草木染の色が実にいい。
機械織りのテラテラした絹は、肩から滑り落ちるが、ここの絹はしっとりとまとわりついて落ちてこない。
糸を引くのも紡ぐのも人の手でやるので、人の波動が糸をゆるやかにカーブさせ、布と布がくっつくのだという。
「まとう」という言葉が死語になっているが、もともと布はまとえるのだと森本さん。


去年ラルフローレンが村に来て布を購入していった。「モリモトの布はパリでは買えないからね」と言って。
森本さんは通信販売をしないので、布を買うにはシェムリアップまで来ないといけないのだ。
で、私も思い切って、村の最高の織り手の代表作を買い求めた。布には一枚一枚、デザイナーと織り手の名前が書いてある。
布を広げるのは、2月から「居心地が良くて」とシェムリアップの事務所に住み着いている日本人女性「せいな」さん。


孵化して2週間の蚕。
耳をすますと、かすかに桑の葉を噛む音が。あと2週間で繭を作りはじめる。
原種(カンボウジュ種)の黄色い繭だ。


村に着いたら、カンボジアの孤児院でボランティアをしている日本人女性「きよら」さん、21歳が先に滞在していた。村の暮らしと森本さんの話に心を揺さぶられたそうで、「これからの生き方を変えなくては」と号泣していた。この村で人生を考えさせされる人は多い。


この春から森本さんのアシスタントをつとめる「みどり」さん。森本さんの家にいついたタイガーと。
みどりさんは、訪問客に村のプロジェクトをガイドするかたわら、村の子どもたちに日本語を毎日教えている。子どもたちに将来何になりたいのかと聞くと「日本語のガイドになって村を案内したい」という答えが返ってくる。
(つづく)