ニリンソウ(二輪草)、一本の茎から花が二つ咲く。
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ハナニラそしてスズラン水仙(スノーフレーク)
白い花が目立つようになった。
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そろそろ新年度がはじまる。
進学や就職で新しい人間関係に入っていく人も多いだろう。
「自分の個性」ってなんだろうと悩むこともあるかもしれない。とくに自分に自信がない若い人は「自分らしさ」を追い求めがちだ。それは、この社会が、他人と何とかして差別化してそれを商品化することを求めるからだろう。だって、すぐに「君のウリはなんだ?」なんて聞くじゃないか。「売り」ってもろにゼニを稼げるかどうかってことでしょ?
こんなエピソードが思い浮かぶ。
「日本らしいサッカー」ができなかったから負けた、という解説をよく聞く。それって「日本らしい」が目的になっていはしないか。勝つことが大事なのに。
昔、将棋界に森安秀光という強豪棋士がいた。1984年に将棋の名人戦の挑戦者になり、谷川に4対1で敗退したが、勝負どころで長考し、敗着を指す。それを振り返って「自分らしい手」を指そうとしたと言ったのを覚えている。一番いい手をさすということでいいのに。(なお、森安氏はのちに12歳の息子に刺殺された)
若い人には、「むりやり他人との違いを出そうとしなくていいよ」と言ってあげたい。以下は、東田直樹氏の「自分らしさ」とは何かを書いた一文。
彼は重度の自閉症で、このブログで何度も紹介してきたが、その文章には本当に教えられることが多い。
《一般に、自閉症者が自分らしく生きるためには、本人が障害を受け入れることが大切だと思われているかもしれませんが、僕自身は障害を受容できるかどうかで、人生がそれほど左右されるとは考えていません。障害があってもなくても、誰もが葛藤を抱えながら必死で生きているのがわかったからです。
自分らしさとは、自分にしかできないことを見つけ出すことではなく、誰でもやっている日常を、自分なりの判断で乗り越えることだと思っています。
どうして人は、自分らしく生きたいと願うのでしょう。
人が生き続けるためには、やらなければいけないことが多すぎるのです。衣食住、困らないように生活するだけでも大変です。その上、仕事や恋愛、人間関係で悩み、自分が存在する理由や幸福についてまで、答えを出そうとします。
一見、同じ毎日の繰り返しですが、時間は流れているわけですから、現状は少しずつ変化しています。その対応には、相当な努力を必要とするはずです。これほどがんばっているのに、誰からも褒められないことの方が多い現実に突き当たり、人は次第に、自分で自分を認めようとするのではないでしょうか。元気に毎日を送るために、自分には、こんないいところがあると、自分を納得させなければいけません。
たとえ障害は受容できなくても、それもまた、自分らしさの現れではないのでしょうか。自分らしく生きるというと、何だか素晴らしいことのように聞こえますが、僕は自分で自分を励ますことができれば、それでいいと思っています。
自分らしさに条件や基準は、いらないのです。こんな自分ではだめだと思うのであれば、その人が追い求めているものは、自分らしさではなく目標ではないでしょうか。
僕が考える自分らしさとは、はるかかなたの山の頂上に咲いている珍しい花ではなく、手を伸ばせばすぐ届く、心地いい芝生みたいなものだからです。》(BIG ISSUE 265)