秘密文書がかたる日朝交渉

takase222014-11-02

いま、4日放送の「ガイアの夜明け」(テレビ東京)の仕上げ最終盤に入って、オフィスは連日騒がしい。制作スケジュールがきついので、3人のディレクター、2人の編集者を配置して大車輪で作っている。
タイトルは「ニッポンの"宝の山"を活かす!」。テーマは日本の林業は復活できるのかだ。
私はこの制作に直接関わっていないが、このテーマはとても大事だと思っているので、ぜひご覧ください。
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先週木曜日、大東文化大学で講義をしてきた。
講座は「キャリア形成と人生」
私にこういう講義は無理だろうと思ったのだが、依頼してきた講座責任者の友人は、就活に役立つというより、「こんな人生もありますよ」という話でいいと言う。
いま、大学生は、「正社員になれないと人生お終い」と考える保守的な考えに縛られているので、少し刺激的な話で、仕事とは何かを考えさせたいとのこと。
私の前の講師に、サバイバル登山家の服部文祥さんなど、変わった人がいて、じゃあいいか、と引き受けた。
やってみると、自分のこれまでの人生を振り返るいい機会になり、感謝している。そして、いかに人との出会いで進路が開かれたか、また、いかに人の助けがあって進んでくることができたかに気付かされ、その意味でも感謝の念がわいてきた。
写真は夕方の大学のキャンパス。広大な山裾に点在する建物はリゾートのようである。
講義のあと、ビールを飲みながら学生と語り合った。自分の子どもより若い彼らは、実に素直で、好感をもった。
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さて、北朝鮮との交渉について。
北朝鮮の交渉パターンは、半世紀前に「原点」があった。
8月のTBS「報道特集」が日朝交渉に関する特集を組んだ。そのなかに、発掘された秘密文書から最初の日朝交渉を分析するという非常に興味深いパートがあり、それをここに紹介したい。

1956年1月、平壌で日朝赤十字会談が開かれた。これが日本と北朝鮮との最初の政治的交渉である。
会談に臨んだ日本赤十字社の目的はただ一つ、残留日本人を帰してほしいということだった。

終戦後、600万人を超える日本人が海外から引き揚げたが、北朝鮮からの引き揚げは実現していなかった。北朝鮮残留日本人の家族で結成した「待ち侘びる心の会」は、政府への陳情を繰り返し、引き裂かれた家族との一日も早い再会を待ち望んでいた。

その陳情もあって実現した日朝会談で、日本赤十字社は、北朝鮮に残され、生存している可能性がある日本人2000人以上の安否を確認し、生存者の日本帰還を実現したいと考えていた。

ところが、会談の場で、日本側を驚かせる事態が起きる。
北朝鮮側が、在日朝鮮人の「祖国帰還」という、全く別の問題を議題として持ち出してきたのだ。
在日朝鮮人の問題は人道問題であり、これは赤十字にも関係するので、会議で正式な議題として話し合うべきだ」と北朝鮮側は主張したという。
北朝鮮在日朝鮮人を「祖国」に帰せという。しかし、在日朝鮮人のほとんどは南の出身で、北朝鮮への「帰還」に韓国は激しく反発した。これは、韓国との国交正常化を念頭に置く日本としても、受け入れられない提案だった。

こうした交渉の中身が分かったのは、明治大学川島高峰(たかね)准教授が、ジュネーブで発掘した、日赤外事部長が書いた議事報告書による。(外務省は今もこれを公開していないという)
川島准教授によれば、北朝鮮側が、唐突な提案をした狙いは、日本との国交正常化にあったという。56年に日ソ国交が結ばれ、日韓の国交正常化交渉は1952年から始まっており、北朝鮮は政治的に出遅れ感があった。人の行き来があれば、事実上、国交正常化せざるを得なくなると北朝鮮が考えたと川島准教授はいう。

北朝鮮の要求に対し、日本側はこう反論している。
「あなた方が求めていることは、軍縮会議に出席するためにやってきた派遣団に、貿易協定についての話し合いを要求するようなものだ」
そして、「派遣団には、在日朝鮮人の問題を話す権限が与えられていない」として北朝鮮側の要求を拒んだ。もし、在日の問題を議題にのせることになれば、本来ここで解決すべき、残留日本人の帰国というメインテーマが後ろに追いやられてしまう。
しかし、この日本側の必死の抵抗は、北朝鮮の戦術で覆されてしまったのだ。
(つづく)