山本美香さんシリアで殉職

takase222012-08-21

ジャーナリストの山本美香さん(45)がシリアで亡くなった。
ご冥福をお祈りします。
山本美香さんは、90年、若いビデオジャーナリスト集団をウリに開局したばかりの「朝日ニュースター」に入社。その後、石丸次郎さんたちの「アジアプレス」、そして佐藤和孝さんの「ジャパンプレス」という独立系通信社で活躍してきた。03〜04年には日本テレビきょうの出来事」のキャスターをつとめた。
紛争地での取材で知られるジャーナリストである。03年のイラク戦争取材で、「ボーン上田記念国際記者賞特別賞」を受賞している。アフガンやイラクには何度も入っているが、シリアは初めてだったそうだ。
テレビで流れた実家の親御さんの悲しむ様子は本当にお気の毒だ。亡くなったのは惜しいし、若くてもったいないとは思いつつ、仕事柄、こういうことは覚悟の上だろうから、山本美香さんには「ありがとうございました」「ごくろうさまでした」と言いたい。
山本美香さんは、いつも二人三脚で取材にあたる佐藤和孝さんとともに、国境を接するトルコに入り、国境を越えシリアを日帰りで取材していたという。反政府勢力の「自由シリア軍」に同行してシリア北部のアレッポ市の近郊に行ったところ、政府軍の急襲を受け、佐藤さんによると「20〜30メートル」から乱射され、みな散り散りになって逃げたという。
山本美香さんは首を撃たれたのが致命傷になったという。遺体の映像を見ると、右腕が激しくえぐられ、おそらく自動小銃で撃たれたのだろうと推測する。
そこは、反政府勢力が占拠する場所だが、情勢は流動的で、勢力圏はまだら状になっていたようだ。非常に危険なところで、よほど現地に詳しくとも、いったんその場に行けば、個人の注意には限界がある。「行くか」「行かないか」の選択しかない。あとは運だろう。
彼女のお父さんが、「美香の原点は、(朝日ニュースターの記者として)雲仙の普賢岳長崎県)で被災した人たちを取材したこと。極限状態に置かれている人たちの真実を、世界に知らせたいということです」(朝日新聞夕刊)と語っていたことに注意をひかれた。
大企業のマスコミが、危険地取材をやらなくなったのが、43人が火砕流で亡くなった普賢岳報道からなのだ。彼女は反対の方向を目指していたことになる。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20111022
こういう事故があるたびに、メディア大企業が行かないところにフリーが行く構造、あるいは相互の関係を考えざるをえない。ジャパンプレスの二人は日本テレビの専属に近い立場で、前日18日には佐藤さんが日本テレビのニュースでリポートしていた。
日本テレビ総合広報部によると、山本美香さんらがシリアに入ったのは今月16日。所属するジャパンプレスの判断で現地に入り、取材を続けていたという。同局は取材した映像の提供を受け、ニュース番組などで放送していた。「亡くなったときの状況は、かなり近いところから銃撃された、ということ以外わからないようだ」といい、現地へ社員を派遣するなどの予定はないという。》(朝日夕刊)
山本美香さんと最後に会ったのは、5年前、長井健二さんのミャンマーでの死を考える座談会だった。そこで「取材先で何かあった場合の『事後』への備え」について話題になり、彼女はこう言っていた。
「私の場合は日本テレビとの専属になる前から、戦争の現地に行き時には局側が保険に入る方式です」。
ただ、これはかなり例外的で、普通のフリーではそこまでの手当てはしてくれない。彼女の実績と日本テレビとの特別な信頼関係があってのことだ。この事故はどう処理されるのだろうか。
最後に、山本美香さんの死を報じるニュースで、必ずと言っていいほど、「政府軍と反政府勢力の戦闘激化で多くの市民が犠牲になり・・」というナレーションが入るが、これは誤解を招く。これでは、まるで最前線で両軍のあいだに市民がいて弾丸に当たっているようではないか。
実際には、安田レポートにあったように、政府軍が、反政府勢力のいる地域を無差別に空爆し、手当り次第に砲撃を加えているのだ。市民は政府軍に殺され続けているのである。