東電「撤退要請事件」の顛末4

朝日新聞の「プロメテウスの罠」から抜粋しているが、撤退要請事件については、ここまで事実が出てくるのは初めてだろう。
知れば知るほど、もう少しで日本はおしまいになっていたのだと、あらためて恐怖感がこみ上げてくる。
もう、こんなことは繰り返してはならない。
・・・・・
東電社長の清水正孝が官邸に着いたのは15日午前四時17分だった。
5階で首相補佐官の寺田が出迎え、清水はひとりで菅の待つ応接室に入った。
菅は「ご苦労様です。お越し下さり、すみません」とあいさつし、いきなり結論を告げた。
「撤退などあり得ませんから」
官房長官の枝野、経産相の海江田、官房副長官の福山と滝野、藤井、首相補佐官の細野らが同席していた。
「はい、わかりました」
両手をひざに置いた清水が、小さく頭を下げた。
清水の返事を聞いた海江田は、「ん?」と思ったと振り返る。「あれだけ撤退を強く言っていたのに」
さらに菅はたたみかけた。
「細野君を東電に常駐させたい。ついては机と部屋を用意してください。東電に統合本部をつくるから。お互いの情報を共有しよう」
清水は驚いた表情を見せたが、「分かりました」と答えた。
これで「事故対策統合本部」が設立された。政治が民間企業に乗り込み直接指揮する超法規的措置だ。
何時に東電に行けばいいか、菅が清水に尋ねた。清水は、2時間程度かかる旨を返答した。
「そんなんじゃ遅いです。1時間後にうかがうので、部屋、用意して下さい」
了承した清水に、「じゃあ、どうぞ。用事は終わりました。準備してください」。18分間も会談だった。
菅の東電行きが決まり、首相秘書官が大声を上げた。
「東電に行くらしい」「官邸の記者クラブに電話しろ」
その大声を聞いた東電広報部課長の長谷川和弘は、一緒に清水に同行した国会担当の東電社員が携帯電話で電力総連関係の民主党議員に電話しているのも見た。
「先生、何とかなりませんか」
執務室に戻った菅は、ひとり机に向かい、常に傍らに置いているA5判の「菅ノート」に事故対策統合本部の人事案を書き込んだ。
《本部長 菅  副本部長 海江田 清水  事務局長 細野・・・》
午前5時28分。菅は東電本店に向かった。海江田、福山、細野、寺田が続いた。
(以上11日付)
午前5時35分、菅を乗せた黒塗りの車が東京・内幸町の》東電本店に着いた。
菅は2階の対策本部に入った。その後、ここが政府・東電の事故対策本部になる。
壁面に、現場とのテレビ会議に使う複数のモニターがかかっていた。菅の正面に会長の勝俣恒久、その横に社長の清水が座った。
菅はこう訓示した。
「今回の事の重大性は皆さんが一番分かっていると思う。政府と東電がリアルタイムで対策を打つ必要がある。私が本部長、海江田大臣と清水社長が副本部長ということになった。これは2号機だけの話ではない。2号機を放棄すれば、1号機、3号機、4号機から6号機、さらには福島第二のサイト、これらはどうなってしまうのか。
これらを放棄した場合、何ヶ月か後にはすべての原発、核廃棄物が崩壊して放射能を発することになる。チェルノブイリの2倍から3倍のものが10基、20基と合わさる。
日本の国が成立しなくなる。何としても、命がけで、この状況を抑え込まない限りは。撤退して黙って見過ごすことはできない。そんなことをすれば、外国が『自分たちがやる』といいだしかねない。
皆さんは当事者です。命を賭けて下さい。逃げても逃げ切れない。情報伝達が遅いし、不正確だ。しかも間違っている。皆さん、萎縮しないでくれ。必要な情報を上げてくれ。目の前のことと共に、5時間先、10時間先、1日先、1週間先を読み、行動することが大事だ。
鐘がいくらかかっても構わない。東電がやるしかない。日本がつぶれるかもしれないときに、撤退はあり得ない。会長、社長も覚悟を決めてくれ。60歳以上が現地に行けばいい。自分はその覚悟でやる。
撤退はあり得ない。
撤退したら東電は必ずつぶれる」
「菅訓示」が終わって間もない午前6時、皮肉にも2号機の圧力抑制室付近で大きな衝撃音が発生した。
その3時間後、正門付近で毎時1万1930マイクロシーベルトが確認された。これまでとは桁違いの高い線量だった。
海側への風は、次第に陸側へと変わり、その後、北西に向きを定めた。その先には浪江町飯舘村福島市があった。
(以上12日付)