東電「撤退要請事件」の顛末3

takase222012-01-10

モンゴル在住の山本千夏さんが帰国中で会社に遊びにきた。
会社の近くのタイ料理屋で歓談。
もとはテレビ業界の人で、うちで働いてもらったこともある。
単身ウランバートルに移住し11年前に起業。
仕事は「TV・映画・CMなどの映像撮影・取材のコーディネート。モンゴル語−日本語の通訳・翻訳。ODAプロジェクトの調査・プロジェクトコーディネート」などなんでも。http://ameblo.jp/mongol/
一時は金融業にまで進出し、大変な羽振りのよさだったらしいが、トラブルに巻き込まれ、命を狙われるはめに・・・。波乱万丈の人生劇場についてはまたいずれ。
ウランバートルは世界一空気の悪い町だそうで、週末には、郊外にもっている別荘のゲルに肺の浄化にいくとのこと。千夏さんは、そこに羊を飼っていて、去年、日本人会忘年会のビンゴの賞品に羊一頭!を提供したという。
「ビンゴ!賞品は羊です!」
こんな光景を想像して大笑いした。
東京の私の暮らしとは別世界。話を聞いているうちに、こっちの頭が浄化された。
モンゴルにご用の方は彼女のアレンジでどうぞ。
・ ・・・・
連載つづき;
15日午前3時、菅首相が皆が待つ執務室に入った。
東電が事故現場から撤退したいと言っているむねを報告すると、菅は即座に言った。
「撤退したらどうなるか分かってんのか。そんなのあり得ないだろ」
何をバカなこといっているんだといういい方だったと福山は語る。
午前3時20分、菅は話し合いの場を隣の応接室に移した。
官房副長官の藤井と滝野、防災担当相の松本も加わる。後に「御前会議」と呼ばれる集まりだ。保安院長の寺坂と保安院付の安井、原子力安全委員長の斑目、委員長代理の久木田も出席した。
原子炉内の圧力は刻一刻と高くなっていた。
安井が状況を説明し、枝野が「東電から『プラントは厳しい状況で、もうやるべきことはない。撤退したい』との話があった」と報告した。
このときも菅は間髪を入れなかった。
「撤退なんてあり得ない」
全員が「撤退すべきでない」との意見で固まった。「撤退を食い止めるためには東電に乗り込むしかない」というところに話は発展した。
急いで東電の清水正孝を呼ぶことにした。
清水が来るまでの間、菅は執務室に政治家だけを集めていった。
「このままほっといて撤退したら東日本全体がダメになる」
「こんなことでは外国から侵略されるぞ」
目の前に並ぶ一人一人に強い調子で詰め寄った。
「俺は東電に行くつもりだ。お前は行くか」「お前は行くか」「お前は行くか」・・・
(以上9日付)
菅は総理執務室で東電の清水社長を待った。
2号機の原子炉が爆発したらほんとうに国がなりたたなくなってしまう。菅は「これはやばいな」と真剣に思ったという。
三鷹のお袋の家も使えなくなっちゃうのかな。なんてことまで頭に浮かんだよ、あのときは」
東電は官邸に4人の常駐を置いていた。その筆頭は東電フェローで元原子力担当副社長の武黒一郎だ。震災初日の3月11日から官邸に詰めていた。重要な局面での会議に出席し、東電との橋渡しを努めると同時に、技術的な助言をする、官邸での東電代表だ。
その武黒が、東電の撤退問題で官邸がばたばたしている最中に、姿が見えなくなった。他の社員を残して官邸近くの仮泊のホテルに行き、シャワーを浴びた後、仮眠を取っていた。
枕元に置いていた携帯は一回も鳴らず、そのまま朝まで数時間眠ってしまった。
武黒は14日、2号機問題に取り組んでいた。午後7時ごろ、炉心の減圧になんとか成功、午後7時54分から消防車を使って冷却用の海水を注入できるようになり、一安心した。その後、格納容器の圧力が上がり、爆発の危機が近づきつつあった。だが、武黒はそのことを東電本部から知らされなかった。
清水の車は官邸に向かっていた。
福山官房副長官と寺田首相補佐官は執務室を出た。ふたりは声をひそめて言葉をかわした。
福山「社長が撤退するとかいい出したら、大変なことになる」
寺田「内々に、清水社長に総理の意向を伝えておきますか」
清水には国会担当と広報担当の幹部2人が同行していた。車中、清水は2人につぶやいた。
「ごめんな、ごめんな」「どうせまた怒られるんだよなあ」「お前よお、悪いなあ」
(以上10日付)