再び樺太残留朝鮮人について

このブログを読んだ中学時代の同級生(ずっと会っていない、懐かしいK君)からお便りをもらった。
《今回、目を引いたタイトルがありまして。「氷雪の門」です。いやああ、なつかしい!!!でした。
あの映画が作られたのは、たぶん1973年頃で我々が学生時代でした。小平の大学に通っていたわたしは、夏休みのアルバイトで、聖跡桜ヶ丘近くの「特撮スタジオ」でアルバイトをしていました。そこで作られていたのが「氷雪の門」だったのです。関わったのは特撮部分なので、二木てるみさんなど俳優さんとは全く関係ありませんでした。もっぱら、戦闘シーンの撮影です。大きなプールで魚雷艇が走ってくるシーンや、真岡の町を戦闘機が攻撃してくるシーンなどです。映画に出てくる戦闘機は私がプラモデルで作りました。大変でしたが、今となっては楽しい思い出です。
ところが、上映となって、それが急遽中止となってしまいました。そのいきさつは、高世くんのページにも載っていますが。それ以来、実際の映画になったものを一度も目にしていません。それを高世くんが見た、というのはうらやましいかぎりです。
どっかで見られないかしらん???》
へえ、映画に出てくるあの戦闘機はK君が作ったのか。横浜に住んでるそうだが、黄金町のシネマ・ベティで上映してるらしいよ。ぜひ映画を観て、若い日を思い出してください。
ところで、きのう、日韓併合100年に関する総理大臣の談話が出た。
この中では、「これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます」と樺太にも触れている。
戦後、樺太から日本人は内地に帰還したのに対して、朝鮮半島から樺太に渡った朝鮮人の多くは故郷に帰れなかった。「在サハリン韓国人支援」とは、彼ら残留をよぎなくされた朝鮮人への支援策のことだ。サハリンに彼らのための文化センター建設費、韓国に永住帰国した人のアパート建設費や一時帰国者の旅費など(70億円)を日本政府が支援してきた。
私は、サハリン残留朝鮮人問題をかなり早い時期に取材している。この問題では、さまざまな誤解があることを以前このブログで指摘した。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100508
一般には「強制連行された4万3千人の朝鮮人を日本は置き去りにした」と言われている。実際は強制連行ではなく、人数はおよそ2万人、帰れなくなった主要な責任はソ連にある。こうした事実は、はっきりさせておかなくてはならない。
新井佐和子さん(『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか』草思社の著者)はこう言う。
《そもそもサハリンコリアンが帰れなかったのは、朝鮮半島の南北に二つの政権ができ、ソ連は当然のことながら北朝鮮を半島における唯一合法の政権と認めてきたため、帰国を許されたのは北朝鮮で、韓国ではなかったからである。事実数千人の南出身者が、北朝鮮へ'帰国"し、その後消息を絶っているという》
http://www.pyongyangology.com/index.php?option=com_content&task=view&id=349&Itemid=32
情緒的に作られた「事実」にもとづいて、歴史は断罪されていく。