ほろ苦い幸せ

6月も後半にはいったある朝、朝日新聞の読者の投稿欄に、「私を介護する91歳母に感謝」という手紙が載った。
最近、介護に関する番組を多く手がけていることもあり、タイトルに目がとまった。書いたのは栃木県在住の69歳の女性である。

 5歳で脊椎カリエスを発病した私は、満91歳になる母の介護を受けて寝たきりの生活をしています。今夜はスツールに置いた丸いお盆が食事です。軟らかく炊いたご飯に、刻み納豆とハゼの佃煮、お浸し。「戦後すぐの食事みたい」「何?参議院がどうだって?」耳が遠くなった母が箸を置いて顔を寄せてきます。
 「私が歩けるからいいんだよ〜、歩けなくなったら老人ホームだ」。母はシルバカーを押して旬の鰹の刺し身や好物の甘エビを買ってきてくれます。食の細い母娘は一人前を分け合って十分足ります。
 歩く自由を失ってからの私と、弟妹の子4人を背負って育てた母の背はたくましかった。今や痩せて痛々しい。
 「久米子と暮らせて幸せ。病気は可哀想だが嫁に出さずによかった。私ゃ本当に幸せだね」、母は毎日繰り返す。父亡き後も私のために生きていてくれる母。その母のために病苦に対峙する私。人間の幸せって、私にはほろ苦い。

 
 何を言っても薄っぺらになりそうなので、論評は加えない。
 人間の幸せというものをあらためて、そしてラディカルに(根底的に)考えさせられる。