北朝鮮とリビア6

テロ支援国家」という言葉が新聞などで飛び交っているが、この意味については、きちんと解説されていないようだ。
テロ支援国家」とは、アメリカ政府が規定するもので、初めて規定されたのが1979年12月だった。つまり、「テロ支援国家」は世界標準の普遍的概念ではなく、登場して30年足らずのアメリカ独自のコンセプトである。
テロ支援国家」は「制裁」と結び付けられて論じられるが、どんな制裁なのか。
北朝鮮に対して適用可能なアメリカの制裁法規としては、1945年制定の「輸出入銀行法」(マルクス・レーニン主義国家への融資禁止など)から2007年の「国防省支出法」(国防予算からの援助の禁止)までたくさんある。2000年には「イラン・北朝鮮・シリア非拡散法」などという北朝鮮を名指しした法律も制定された。共産主義国家であること、大量破壊兵器拡散の恐れがあること、人権侵害があること、テロ国家であることなどを理由に適用され、法規だけでも40以上の制裁条項がある。
このうち、「テロ支援国家」と規定されると「輸出管理法」(6条J項)、「兵器輸出規制法」(40条)、「海外援助法」(620条A項)が適用され、以下の規制を受ける。①兵器の輸出禁止。②軍民両用品の輸出規制。当該国の軍事能力およびテロ支援能力の増強に寄与しうる物品を輸出する際は議会への事前通知を要する。③経済援助の禁止。③多様な金融関係の制限。これには、世界銀行その他の国際金融機関の融資に反対することが含まれる。
意外に「大したことないじゃないか」と感じるのではないだろうか。「テロ支援国家」に関連する制裁は、上に挙げた40以上の制裁のごく一部にすぎない。内容も、北朝鮮の核実験後の国連制裁なみに締め上げ効果の高いものではない。
もし「テロ支援国家」の指定が解除されても、世界銀行IMFなどから簡単にどんどん融資を受けられるわけではない。住宅ローンを借りるとき審査があるように、様々な条件をクリアしなければならない。
テロ支援国家」の指定は、経済的な効果よりもむしろ政治的な意味が強いと思う。それは、リビアに対するアメリカの措置によく現れている。
03年9月に国連がリビアに対する制裁を解除した後から、アメリカは以下のような対応をする。
04年4月 「イラン・リビア制裁法」のリビア部分失効
同 6月 連絡事務所をリビアに設置
同10月 対リビア経済制裁措置を解除
05年   アメリカ企業がリビア油田の開発に本格参入
06年5月 在リビア連絡事務所を大使館に昇格(関係正常化)
同 6月 アメリカ、リビアテロ支援国家指定を解除
アメリカは制裁を解除し、国交を正常化した締めくくりとして最後に「テロ支援国家」の解除を行なっている。実質を伴わない象徴的な行為と言ってよいだろう。一方、リビアは賠償金の支払いを何段階かに分け、「テロ支援国家」指定解除を最終支払いの条件にした。対米関係改善の駆け引きの道具にしたのである。
北朝鮮に対しては、非核化プロセスの見返りとして「テロ支援国家」指定解除が使われている。さらに、この問題は、北朝鮮アメリカに対して、関係正常化をする意思があるのかと迫る踏み絵となっている。キノネス氏が言うように、今や、試されているのは北朝鮮ではなく、アメリカである。