今月11日と12日、日本から斎木昭隆・外務省アジア大洋州局長、北朝鮮からソンイルホ日朝交渉担当大使らが出席して日朝実務者協議が開かれた。きょうの朝刊一面には、公式協議としては9ヶ月ぶりのこの協議で、「拉致問題」で進展があったかのようなトーンの記事が載っている。
《町村官房長官は13日夕の記者会見で、北京で開かれた日朝公式実務者協議で、北朝鮮が日本人拉致問題の「再調査」を表明したことを明らかにした。
北朝鮮は、同国に滞在する日航機「よど号」乗っ取り犯4人全員と家族2人の引き渡しに協力することも約束した。日本政府は、こうした対応を拉致問題解決に向けた「一定の前進」と評価し、2006年から実施している対北朝鮮制裁措置の一部を解除・緩和する方針を決めた。》(読売)
これまでの流れを素直に見れば、これはもう出来試合以外の何物でもない。
6カ国協議者で大した進展もないのに、アメリカは北朝鮮への制裁解除をしたくてたまらない。だが、拉致問題でクビを縦に振らない日本を何とか納得させる形を取らないといけない。そこで、アメリカは北朝鮮に、日本政府が「進展」と表現できるようなことをせよと入れ知恵をする。日本政府には「進展」のハードルを下げるよう言い渡しておく。
その上での「一定の前進」なのだ。
《北朝鮮が日朝実務者協議で拉致被害者の再調査の約束を表明するなどしたことについて、米国務省当局者は13日、「問題解決のために北朝鮮が取るすべての誠実な行動を歓迎する」と述べ、評価する考えを示した。》(ワシントン13日共同)
ほら、こうでしょう?打ち合わせておいた通りというわけだ。こうなると次はいよいよテロ支援国家指定解除の動きになる。
《米政府は、北朝鮮が核申告の見返りに要求しているテロ支援国指定解除の環境が整ったと判断した上で、北朝鮮が核申告を提出するのに合わせ、指定解除に踏み切る公算が大きい。》(読売)
一方、我が日本政府はといえば、《官邸が考えることは(拉致被害者を)「どうやったら助けられるか」ではなく「どうやったら進展しているように見せられるか」でしかありません》という表現がぴったり当てはまる。(特定失踪者問題調査会の荒木代表のメールニュースより)
6カ国協議では、北朝鮮以外の国々の政府がみな核問題が「どうやったら進展しているように見せられるか」を懸命に演出している。
全体主義国家にとって外交とはマヌーバーにすぎない。そして、《譲歩と大きな国際的威信とを用いて全体主義国を正常な国際関係に引きもどすことはあらゆる正当な期待にもかかわらず不可能だった》し、《全体主義政権は相手の妥協性に対して一層の敵意をもって応ずる》というのはナチズムとの外交から得られた教訓だった。(ハナ・アーレント『全体主義の起源』3、P149)
「歴史を教訓に」とはよく言われる言葉だ。しかし、歴史は同じ過ちを何度も繰り返すものらしい。