総務省接待問題の幕引きを許すな2

 きのうは畑に出た。
 Workmanで求めたゴム手袋、防水靴、作業ジーンズを身につけて。
 風が冷たかったが、陽が射してくれてありがたい。
 作業はネギ畑の雑草とり。一面に咲いている紫の花、これをとるという。ホトケノザではないか。可憐であってもネギを育てるという視点から見ると、雑草は雑草、むしりとるしかない。

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 ただ、ホトケノザを一掃するのと、このまま繁茂させる場合とで、ネギの収穫がどれほど違ってくるのか。つまり雑草取りの効果だが、ご存じの方は教えてください。

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花が咲き始めた広島菜

 作業を終え、小松菜、ほうれん草、広島菜、からし菜、白菜、ブロッコリーをお土産に帰途についた。
・・・・・・・・
 27日の『報道特集』で総務省接待問題を特集していた。突っ込んだ特集で、とても参考になったので一部を紹介したい。
 
 まず現内閣広報官の山田真貴子氏だが、2013年、安倍内閣で初の女性初の首相秘書官に就任。

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山田氏は首相秘書官に

 当時官房長官だった菅氏は山田氏について周囲に「総務省初の女性次官にしてやる」と語っていたという。
 その後、総務省で官房長や総務審議官などいずれも女性初のポストを歴任してきた。
女性官僚の出世頭といえる。

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「飲み会を絶対に断らない女」

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ありえない!

 ついで菅首相の長男、菅正剛氏
 菅氏は総務大臣だった2006年、当時25歳の正剛氏を大臣秘書官にした

 長男を大臣秘書官に起用したことについて、雑誌(『週刊プレイボーイ』09年6月22日号)のインタビューで菅氏はこう語っている。
「・・何ヵ月かね。(当時)うちは第一秘書、第二秘書を選挙に出したんです。人がいなかったの。そんだけ

Q:当時、長男は政治活動に関心があったのか
「・・バンドをやってたの。・・バンドの人が体を壊して辞めて(長男は)プラプラしていたから、その間だけ。選挙の間だけ」

 謙遜して言っているのかもしれないが、政治に関心のない息子がバンドを辞めて「プラプラして」ヒマだったから秘書官にという人選はいかがなものか。

 その正剛氏は2年後の2008年に「東北新社」に入社した

 今回問題になっているのは、5年前から行われていた「東北新社」による総務省幹部の接待だが、そこにどんな意図があるのか。
 接待時期、当時の役職、場所、金額などが記された接待リストを見て、かつて総務官僚だった小西洋之参院議員立憲民主党)がこう語る。

すごく戦略的な接待をやっています。次に放送部局の責任者になる人を事前に接待している
 例えばこの秋本さんという方は、(接待当時)携帯電話などを所管している電気通信事業部長。こういう携帯電話などを担当する部長から次に放送担当の部長になるというのが、人事で見えるんですね。
 最高幹部の(接待の)ときには、息子さんが(同席して)いるわけですよね。最高幹部のときの出席率は息子さん8割ですね。」

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接待リストから「戦略」が見えるという

 菅正剛氏は当時、「東北新社」の部長だったが・・
「放送担当の局長に、業界の会社の部長さんがご挨拶するというの、まず無理です。
 関係会社の部長さんでしたらせいぜい課長補佐。放送行政にいた私としては違和感を感じます。
 (菅氏の長男は)幹部クラスを呼び出すための要員。菅総理の長男から接待メンバーとして声を掛けられれば、総務省の最高幹部は断れない。
 逆に失礼をしたら、とんでもないことになるだろうと」

 処分された官僚は、小西議員のかつての上司だったという。
「直接、私、部下として仕えた方なんですけど、違法な供応接待を受けるような方では決してないです
 なぜ、こんな明々白々な、本人たちも分かっていたはずの違法行為を、接待を受けなければいけなかったのか、そこの問題はまだなんら解明されていない」

 民主党政権時代、総務大臣だった原口一博立憲民主党衆院議員)が語る。

 「ちょうど名前が出ている人たち、私が大臣のとき、バリバリやってた人たちなんです。正直つらいです。情報通信のまさにこの人たちが日本を背負ってきた人たちなので。何でこんな初歩的なミスをするのかと。」

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Q:(原口氏が)大臣時代、部下が接待を受けてたという話は?
「ありえません。むしろ人間らしい働き方をしてくれということで、早く(部下を)家に帰した人を上(のポスト)にあげていったんで」

 原口氏はさらに、今回処分を受けた幹部のうち2人が、相談に訪れていたことを明らかにした。
「来たんです。相談に。あの二人が。今回、これだけ大きくなる前にですね。謝りにきたんです。すいませんって。
 (私は)全部本当のことを言いなさいと、最大の危機管理は、正直であることだと言って帰したんです。でも、うそを言ったでしょ。人事と自分のあとの人たちまで祟ると思っているんじゃないですか。」

 「うそ」というのは、参考人として招致された幹部の虚偽答弁だ。
 総務省前情報流通行政局長の秋本芳徳氏は、はじめ「(接待のとき)衛星放送の話が出たかどうかという記憶はない」と答弁したが、音声データが公開されると、「今となっては、木田氏(スターチャンネル社長)や菅氏からBS、CSスターチャンネルに言及する発言はあったのだろうと受け止めています」と発言を翻した。

 ここまで事実と異なる答弁が続けば、国会の役割が崩壊すると危惧するのは、憲法学の高見勝利氏上智大名誉教授)だ。

首相レベルで誰がどう見てもウソであるということが、しゃあしゃあとまかり通って、しかもウソを裏付けるような資料しか役所が出してこないという事態になったのは、どう見ても第二次安倍政権以降。それを今の政権が引き継いでいる
 そのへんのところをどうしていくのか。もっと真剣に本格的に検討しなければいけない問題ではないかと思っている」

 処分された官僚たちを知る原口氏や小西氏のコメントからは、官僚たちが被害者に見えてくる。
 「日本を背負ってきた」優秀な、根は真面目な官僚たちが、接待を受けざるをえなくなり、「人事と自分のあとの人たち」を守るためにウソまでつく。
 財務省近畿財務局の赤木俊夫さんが自死に追い込まれたのと同じ構造だ。
 国民の行政への信頼を破壊し、行政を麻痺させ、公務員のモラルを低下させるのはトップリーダーの恣意ではないか。

 今回の総務省接待問題、このまま幕引きを許してはならない。

総務省接待問題の幕引きを許すな

 放送関連会社「東北新社」(TFC)による総務省幹部の接待問題。

 「東北新社」は日本最大の番組制作会社で、テレビだけでなくCM制作、海外のテレビ・映画の輸入配給・字幕吹替の翻訳からイベント事業まで多くの分野でビジネスを展開、「スターチャンネル」、「囲碁将棋チャンネル」など8つの衛星チャンネルも運営している。20年3月期の連結売上高は598億円、社員数はグループで約1600人。

 私は「ジン・ネット」という番組制作会社を経営していたので、同業の「東北新社」とは多少のご縁がある。
 「情熱大陸」などいくつかの番組では競合する関係で、「東北新社」のスタッフとは各種パーティや会合で顔を合わせることがあった。また、「東北新社」のグループ企業のスタジオで番組を編集したこともある。

 あるとき、地球温暖化問題に関するNHK向けの大型の番組企画を構想し、お付き合いのあったNHKの元幹部局員に相談した。
 その元局員はNHK退職後「東北新社」を「お手伝い」しており、番組を共同制作しないかと誘われた。そこで打合せのため、赤坂見附駅から歩いて5分の「東北新社」ビルにしばらく通った。

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 結局番組は実現せずに終わったのだが、そのとき「東北新社」のシビアに利益を上げる会社運営を垣間見て、うちのどんぶり勘定の経営とは違うなと感心した覚えがある。

 「東北新社」のHPをみると、26日付けで社長の二宮清隆氏の引責辞任のほか、接待した執行役員や取締役の解任・辞任が載っている。
 菅首相の長男、正剛氏については―
《菅統括部長   就業規則に基づき懲戒処分を行い、メディア事業部趣味・エンタメ
コミュニティ統括部長の任を解き、人事部付とする。また、株式会社囲碁将棋チャンネルの取締役を辞任。》とある。
https://www.tfc.co.jp/news/2021/02/1659.html

 この事件の構図は、テレビ業界の人間から見ると、とても分かりやすい。

 テレビは新聞などとは違って、許認可事業である。放送・通信を主管する総務省の意向次第で、事業が左右される。

 菅義偉首相は総務省族議員小泉内閣竹中平蔵氏が総務大臣をしたときの副大臣で、安倍内閣総務大臣になった大臣秘書官に菅氏は息子の正剛氏を起用している。

 その後、菅正剛氏はTFCに「就職」する。ある種の天下りで、「東北新社」としては総務省および菅義偉氏との最強のコネクションをありがたく「お迎え」したわけだ。
 「東北新社」の創業者、植村伴次郎氏は菅氏と同じ秋田県出身。菅氏は2012年以降、植村家から個人献金を500万円受けている。『週刊文春』によれば、菅氏は正剛氏を植村氏に「鞄持ち」として預け、植村氏は正剛氏を孫のように可愛がっていたというエピソードもあるという。すでに特殊な関係にあったわけだ。

 さすが安倍氏の後継内閣、個人的な「お友だち」を政府ぐるみで助けてやった「モリカケ」の構図と同じだ。
総務省は12日の衆院予算委員会で、2018年にCS放送業務として認定された12社16番組のうち、東北新社子会社の番組だけがハイビジョン未対応で認定されたことを認めた』(毎日新聞)。
 認定されたのが、菅正剛氏が取締役をしていた「囲碁将棋チャンネル」。
 今後、さらに「東北新社」への優遇措置が明らかになることを期待する。

 今回発覚した接待の対象は、総務省の審議官、局長などの大幹部ぞろい。普通の番組制作会社がおいそれと「どう、飲みにいかない?」と誘える面々ではない。総務省の調査では、TFC以外からの接待は確認されなかったというが、あたりまえだ。

 「東北新社」からのお誘いとあれば、総務省の幹部らはそこに菅義偉氏と正剛氏の存在を感じないわけにはいかない。

 ジャーナリストの今西憲之氏に総務省官僚がこう言ったという。
菅首相は政治家として、人事権を使って官僚を意のままに動かすと公言しています。要するに、官僚人生で最も大事な人事。菅首相はそれを握り、自在に使いこなすと言っている、最強の人ですよ。その長男、菅正剛氏が参加するという会合があれば、そりゃ、断れません。問題になっている13人のうちの1人と話したが、『総理の長男が来るのに、断るなんてできるわけない』と明確に言っていた。それが本音です」(週刊朝日オンライン)

 もし、接待の場で具体的な便宜の話が出ていなかったとしても、特定の企業に所轄官庁が取り込まれていること自体が大問題だ。
 また、菅氏の恣意的な官僚人事も俎上にあげなければならない。

 総務省は接待を受けた計11人に減給、戒告などの処分を行ったが、計12万円(最高額)の接待を受けた谷脇康彦総務審議官(次官につぐポスト)などは職にとどまる。
 また、総務審議官時代に1回で7万4千円を超す接待を受けた山田真貴子・内閣広報官(60)も1ヵ月間、月給の6割(70万円)を返納しただけでそのまま職を続けるという。

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wikipediaより)

 こんな処分でいいわけがない。政府への信頼がますます失われるだけだ。
(なお、総務省で更迭された秋本芳徳情報流通行政局長の後任になった吉田博史総括審議官は山田真貴子氏の夫)

 山田真貴子氏は、菅氏が総務省から内閣広報官に抜擢した懐刀で、首相記者会見を「次の日程がありますので」と打ち切る強引な仕切りで知られる。

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菅首相の頼りになる会見の仕切り屋

 菅氏とズブズブの「東北新社」の豪華な接待を受ける一方で、NHKには放送内容で抗議の電話をするなど、露骨な圧力をかけていた。

 今回の事件は、報道の自由という観点からも、このまま終わらせてはならない。

「ナリワイ」をつくろう―誕生日に思うこと

 きのうは私の誕生日だった。
 68歳になった。信じられない。(笑)
 ナルちゃん(皇太子時代の今上天皇のあだ名)の誕生日が翌23日で、今は祝日になっている。

 きのうはとくに外食するでもなく過ぎ、きょうは娘と「ワークマン」に行った。

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 「ワークマン」は、一昨年、香港行きのたびに、デモ取材のためのヘルメット、ゴーグル、防塵マスク、レインコートなどを買い求めて以来だ。
 機能性にファッション性もとりこみ低価格だと、いま「ワークマン」は若い人たちにも人気だそうだ

 今日欲しかったのは、まず畑作業用のゴム手袋。軍手で作業していたのだが、土の水分が染み込んで困っていた。それから防水の作業用の靴。作業用ジーンズとアウターだ。

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 以上4点を娘がプレゼントとして買ってくれた。ありがたい。

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 会社をたたんで最初の誕生日に思うこと。

 去年、会社とともに私個人も破産して、すっかり身辺整理された。破産すると、いろいろ不都合が出てくる。でも、慣れればどうってことない。

 むしろ借金や未払いなど、しがらみや気がかりのもとが整理されてなくなり、すっきりした。

 もう一度、「ゼロからスタートしよう」と思って頭に浮かんだのが『ナリワイをつくる』という本だった。ああいう風に生きてみたい・・・

 どういう本か、去年5月1日にFacebookに書いた文章を紹介しよう。

https://www.facebook.com/hitoshi.takase.75/posts/10213916307781114

 「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、好きな本を1冊、7日間投稿する」
 バトンが回ってきたので、これから7回、よろしくお願いします。
 1日目は、
 伊藤洋志『ナリワイをつくる〜人生を盗まれない働き方』(東京書籍)

    当方、会社が倒産してしまい、現在就活中。
 で、参考にしているのがこれ。

 ビジネスでもワークでもなく、趣味でもない。DIY・複業・お裾分けを駆使した「ナリワイ」で、現代社会を痛快に生きる。
 とオビにあるように、
 仕事といえば就職、会社で一つの仕事をする、生活を犠牲にしてやるのが仕事、という考え方をやめようと著者の伊藤さんは言う。

 この本が出たのが2012年で、すぐに著者の伊藤さんに会いに行った。
 これは今どきの若者に支持されるだけでなく、ポストグローバリゼーションの未来型の生き方だなと思い、テレビで取り上げたいと思ったのだ。(結局、番組化はできずじまいだったが)

 会った場所は、彼の七つのナリワイの一つとして運営するシェアオフィスだった。

 伊藤さんは、ベンチャー企業で猛烈に仕事をし心身ともにボロボロになった。自分の時間を持てず、友達もできなかった。

 そこで、そもそも仕事とは何かを深く考えた。
 方向性として挙げるのが、「宮本常一が調査していたような、複数の仕事を持つ農村の生活」だ。

 本書では、深い洞察にもとづく現代社会への批判に続き、具体的なナリワイの作り方、そして生活費の減らし方をも実践的に指南してくれる。

 「複業」を論じた箇所にこんなことが書かれていて、我が身を振り返らされた。
 「例えば、仮にジャーナリストが報道に関して圧力に屈しないためには、ジャーナリスト(甲)を干されても、他でなんとかやっていけるバックアップ(乙・丙)を持っていれば、圧力に屈しないで堂々とジャーナリズム活動で、突っ込むことができる、ということにもつながる・・
このように、専業というのは、単一作物に依存した農家と同じである。

 この哲学からは当然、暮らしの拠点は1カ所でなくてもいい、ということになる。
 それが、都会か田舎か、定住か移住かの二者択一を超えた生き方を提案する
伊藤洋志・pha『フルサトをつくる』だ。
 共著者のpha(ファ)さんは、去年、フジTVザ・ノンフィクション「好きなことだけして生きていく」で紹介された、日本一有名なニート

 現代社会の閉塞感をぶち破る有力な、しかも楽しい生き方のオルタナティブだと思っている。
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 「宮本常一が調査していたような、複数の仕事を持つ農村の生活」とは、要するに「百姓」、耕作も大工も土木作業も屋根の葺き替えもなんでもやる。

 ナリワイは、いやいやながら義務でやる「仕事」ではない。自分が得意なこと、あるいはやってみたいことをやる。はじめは下手でも、やっていくうちに技術が身に付き、仲間が増えて楽しくなるという。

 著者の伊藤さん自身のナリワイには、果物の収穫手伝いのような季節労働や、手づくり結婚式のコーディネーション、体験型オリジナル海外旅行のツアコンなどもある。融通無碍なのだ。

 そんなので生活が成り立つのか?という疑問がわくが、伊藤さんによると、あるナリワイで2万円、別のナリワイで3万円という具合に稼ぎを足し合わせると、高額ではないが、それなりの金額になる。
 その一方で生活費を見直し、住居をシェアしたりDIYを増やしたり農作物を作るなどして出費をおさえる。そうするとベンチャー企業で猛烈社員だったときより暮らしに余裕ができ、年に2回の海外旅行ができるほどだという。

 よーし、私もやってみよう。

 というわけで、いま、そのチャレンジの最中だ。
 当面、「書く」、「語る」、「撮る」の三つでやろうと思う。
 「書く」はジャーナルな記事やテーマを決めての本の執筆。
 「高世仁のニュース・パンフォーカス」は月1本のペースで書いている。本の企画も立ち上げようと思っている。

 「語る」では、さまざまなテーマで系統的に話す場を作っていきたい。
 去年末から「焚き火のある講演」「焚き火のある風人塾」で宇宙史を語っている。これを聞いた人から、公民館で小学生に宇宙史を語ってほしいとの依頼があり、少しづつ活動が広がりそうだ。大学の授業の依頼も来ている。

 「撮る」とは、「ジン・ネット」の映像関連の活動を個人レベルで続けていくもので、まずは、自分史映像(自分の人生をふり返って映像化するもの)を制作することをはじめた。

 中国地方で大きな作品の制作注文を受けて進めており、すでに2回の取材を済ませたが、コロナ禍で動けなくなり一時中断している。
 先日、Japan Web Fest(JEF=日本ウェブ映画祭)の作品の審査員をつとめたのも「撮る」の活動の範囲か。 

 一方、去年から「畑」いじりを始めて自分で野菜をつくっている。ほんの”まねごと”で大した生活費削減にはなっていないが、「ナリワイ」のスピリットでやっている。

 さらに、まだ会社があったころから田舎への「半移住」も考慮のうちにあり、2017年には「郡上カンパニー」に参加し、土日を利用して郡上八幡の地域振興のお手伝いをした。これは自分にとってもう一つの「フルサト」を作る試みだった。

gujolife.com

 まだ、ナリワイそれぞれの稼ぎはほんの少しだが、大きな方向性はできかかっており、これからどうやっていこうかと考えている。そして、私自身の人生がそれによってどうなっていくのか、ワクワクしている。

 この歳になって実験的な人生設計をやっているわけだ。
 今が人生でもっとも自由を味わっているといっていい。ほんとうにありがたいことである。
 来年の誕生日には、どんなことを考えているだろうか。
・・・・・・・・・
 さて、上の「語る」では25日に「焚き火のある風人塾」で宇宙史を再び語ります。
 ご関心ある方はぜひお聞きください。880円で、後日オンデマンドでも聞くことができます。

 2月25日(木)21:00から開催します。
 講座のタイトルは『気づきの宇宙史 138億年 ②地球に生命が生まれた』

 クォーツから原子、分子、高分子へと宇宙による物質の複雑化・高度化は、太陽系第3惑星に“いのち”を誕生させました。その“いのち”と環境とのダイナミックな関係が、2000万種の生き物が共生する今の地球を作ったのです。私たちは宇宙の一部、地球の一部、そしてあらゆる生き物の一部。「つながりあって、すべてが一つ」のコスモロジーへの「気づき」を楽しみましょう。

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日本初のウェブ映画祭開かる

 19日、政府の入管法改正案が国会に提出された。

 《政府は19日の閣議で、在留資格がなく国外退去処分になった外国人が、入管施設に長期間収容される問題の解消に向けた入管法改正案を決定した。送還まで施設に収容する同法の原則を見直し、施設外で生活できる「監理措置」を創設する。併せて、出国を求める新たな命令制度をつくり、違反者に罰則を科すなどの送還強化策も取り入れた。

 非正規滞在の外国人は、国外退去とするか否かを決める審判から送還までの間、入管施設に原則無期限で収容される。審判で国外退去となった外国人は、自ら出国するか、強制的に送還される。ただ、日本に家族がいるなどとして帰国を拒んだり、難民認定申請を繰り返したりする例が相次ぎ、収容が長期化している。出入国在留管理庁によると、2020年6月末時点の収容者527人のうち232人が半年以上収容され、3年以上も47人に上る。》(毎日新聞

 この記事では2020年6月末の数字を挙げるが、コロナ感染対策で大量に仮放免で収容を解いたあとのもので、2019年12月末では、被収容者942人中、送還を拒否している人が649人、うち6ヵ月以上の長期収容が462人いた。

 今回の改正案は、一昨年6月、被収容者のハンストでナイジェリア人男性が飢餓死したことを受けて政府が動いた結果出てきたもの。

 国際的に問題になっている長期収容を改善するような装いになっているが、難民申請が2回までしかできなくなる、帰国を拒んだりする場合に刑事罰を課す、など見過ごせない危険な条項を含んでいる。

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こちらは「朝日新聞20日朝刊

 だが、主要紙は、毎日新聞「国外退去の外国人、施設外生活が可能に」、朝日新聞「収容施設外での生活可能に」などと「監理措置」が大きな改善であるかのような印象を与える見出しを付けている。
 出入国管理や難民保護の問題は、「票にならない」こともあって政治家が動かず、マスコミの取材も薄かったので、政府の説明を垂れ流ししているのだろう。しっかり取材してもらいたい。
 政府の改正案の問題は今後指摘していく。

 これで先日紹介した野党5党が参議院に提案した難民保護法と入管法改正案との対決になる。注視したい。
・・・・・・・・・・
 きのうと今日、日本ではじめてのウェブ映画祭Japan Web Fest(JWF) が開かれた
 以下は、「産経新聞」が報じた記事。私のトークイベントも紹介してくれている。

インディーズ特化のウェブ作品映画祭創設 制作者と観客、交流でレベルアップ
2021.2.20
《インターネットで発表されるウェブ作品対象の「JAPAN WEB FEST(ジャパンウェブ映画祭)」が創設され、20、21日にオンラインで行われる。インディーズ(自主制作)作品がほとんどの、ウェブ作品に特化した映画祭は日本で初めてという。インディーズ作品の価値向上や、クリエーター同士、制作者と観客が交流して創造力を高めることなどを目的にしている。

 「自分たちで作って、自分たちで配信することが手ごろになった時代に、各個人が持っているクリエイティビティーをお祝いする場を作りたかった」

 映画祭を創設したプロデューサーの宮本万里さん(35)は狙いをこう語る。2009(平成21)年に米ニューヨークに渡り、演劇を学んだ後、インプロ(即興演劇)などを使って日本語や英語を学ぶワークショップを実施。18年には、米ニューヨークで暮らす日本人の実像を描いたウェブドラマ「ジャパドリ・オブ・ニューヨーク」を制作、出演した。

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宮本万里さん(FBより)

 その作品が韓国で19年に開かれたソウルウェブ映画祭に選出された。現地での経験を通じ、自主映画を作っているクリエーターがつながり、交流できるコミュニティーを日本にも作りたいと考えたという。

 「日本ではインディーズというと趣味の延長と思われがちだが、それは勉強する場が少なかったことに原因があると思う。インディーズでもクオリティーの高い作品はあるし、観客とクリエーターが意見を交換できる場ができると、お互いが向上していけるのかなと思った」

 海外で開かれている5つのウェブ映画祭と提携したこともあり、日本以外に米国やイタリア、カナダなど33カ国から201作品の応募があった。公式作品として約55作品に絞り、オンラインで上映。ウェブシリーズ(ウェブで公開される連続ドラマ)、ウェブ短編映画ナラティブ(物語)、ウェブ短編映画アニメーションなどの部門ごとに最優秀作品を選出する。

 インディーズ作品の価値向上や、クリエーターに学びの場を提供するという目的のため、実践的なイベントも予定されている。

 北朝鮮による拉致事件の取材などを手がけたジャーナリスト、高世仁(たかせ・ひとし)さんとテレビ番組「情熱大陸」(毎日放送)の演出などを行った経験を持つドキュメンタリー番組監督、高木つづみさんらによるトークショーでは、フリーのクリエーターとしてどう生きるかやネット時代の制作について語ってもらう。

 このほか、時代劇の殺陣やアクションの撮影方法を学べるセミナーや、米アカデミー賞で作品賞など4部門に輝いた韓国映画「パラサイト 半地下の家族」のPRを行った企業によるインディーズ作品の売り込み方に関する講演も予定している。

 クリエーター同士の関係を深めるため、オンラインでの交流会も行われる。「映画祭で違う国のクリエーターが出会って、『オンラインで作品を作ろうか』『今度日本に行くから、そのときに何か作ろうか』というきっかけができればうれしい」と宮本さん。観客もクリエーターとコミュニケーションを取ることができ、視聴者目線を取り入れることでさらなる制作力向上を目指す。

 新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が出されていることもあり、今回はネット上のみでの開催となったが、次回以降は「世界の人たちと瞬時でつながることができるオンラインの良さも生かしつつ、実際に集まって意見交換したりする場を設けたいと思っている」と宮本さん。映画祭の今後について、「ネット世代のクリエーターが、撮影の仕方や編集方法、観客データの扱い方などをシステマチックに学べる場所を作りたい」と抱負を語った。

 チケットの販売も始まり、オンラインでの作品上映も行われている。ジャパンウェブ映画祭の公式サイトはこちらをクリック(https://japanwebfest.com/)。フェイスブックのページ(こちらをクリック、https://www.facebook.com/japanwebfest/)では、最新情報を紹介している。》

 私はドキュメンタリー部門の審査員をつとめたが、韓国、台湾、香港など東アジアのクリエーターの作品のレベルが高かった。

 ウェブ映画祭は年々盛んになっており、アメリカでは1800回開かれたという。アジアでも、たとえばインドでは130回開かれるなど広がってきているが、日本はこれからという段階だ。

 既存のテレビや映画から若いクリエーターが育つことが次第に難しくなるなか、ネットの世界での動画制作が注目されるようになっている。

 今年秋にもJWFの第2回を計画していて、毎年1回定期的に開く予定だという。
 これからもできるかぎり協力していきたい。

東京入管でコロナのクラスター発生

 はじめにお知らせです。

 日本で初めてのウェブフィルムフェスティバルが、2月20日と21日に開かれます。
 私もお手伝いしていて、ドキュメンタリー部門の審査をやりました。
 世界では、映像クリエーターにとってウェブの比重が高まっていますが、日本ではまだこれからです。
 世界各国から応募作品が寄せられました。
 ご関心あればのぞいてみてください。
 20日夜には私のトークセッションもあります。

japanwebfest.com

  チケットなど参加方法は以下です。よろしくお願いします。
 https://www.facebook.com/japanwebfest/posts/223446106137863

・・・・・・

 

 ミャンマーでの軍事クーデターに反対する運動がますます拡大している。

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楽家のデモ(NHK国際報道より)

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漁民も

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1988年のときとは時代の違いを感じる

 現地から届く映像でも、民主化への思いがいかに深いのかを感じさせる。日本からも連帯を表したい。

・・・・・・・・・

 東京入管で新型コロナのクラスターが確認された。
《入管庁によると、港区の東京入国管理局の施設で、これまでに、職員5人と収容されている外国人39人のあわせて44人新型コロナウイルスに感染していたことが判明したという。》

www.fnn.jp


 このブログで書いてきたように、入管の収容施設は狭い部屋に数名が詰め込まれ、寝るときに体が接触するほどの「密」で劣悪な環境なのだから、念には念を入れた対策が求められた。これを怠った入管の責任だ。
 牛久入管では去年、仮放免を多く出して一部屋に一人まで被収容者を減らしたが、東京入管ではこれまでも複数が居住していたという。
 そもそも去年8月に東京入管で感染者が出たとき、被収容者全員にPCR検査を行い、仮放免すべきだった。
・・・・・・・・・・・
 きのう、野党が共同で二つの法案を提出した。
 「難民保護法」=難民の保護に関する法律(案)と入管法改正」出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律(案)だ。これらは、内閣が出してくる予定の入管法改正案に対抗して提案したもの。 

 きのう午前10時からこれに関する「院内集会」が参議院議員会館であった。衆参議員12人が出席し、3人がZOOM参加した。本気度を感じる。

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法案発議者の参議院議員。左から福島みずほ(社民)、石橋通宏(立民)、舟山康江(国民)、木村英子(れいわ)、山添拓(共産)、髙良鉄美(沖縄の風

 法案の内容を聞くとすばらしい。
 これらが法律として成立すれば、日本で初めてのまともな難民認定制度がスタートし、また、初めて国際人権基準に準じる外国人の在留管理制度ができることになる。
 法案の内容については、内閣の入管法改正案と比較しながらいずれ書こう。

 きょうは、院内集会で発言した3人の外国人の声を紹介したい。
  
 一人目はアリさん日本で生まれ育ち、仮放免状態で大学に進学しているイラン国籍の男性だ。ZOOMでのインタビュー形式で会場と結んだ。

Q:国籍は?
「お父さんがイラン国籍で、お母さんがボリビア国籍です。」

Q:お父さんはペルシャ語、お母さんはスペイン語だが、家族のあいだでは何語で会話しているか?
「日本語で会話をしております」

Q:アリさんはオーバーステイ(不法残留)の両親のもとに生まれ育ったわけだが、在留資格がなくて困ったことは?
「まずは国民健康保険がなくて病院に行けないことですね。風邪をひいても自力で直すしかなかったので、それがけっこうつらいですね。」

Q:今後に向けて不安な点を教えてください。
「いま大学生なんですけど、仮放免だと就職なんかができないんで、今後、将来すごく不安ですね。大学を出て、何をするのか、ほんとに不安です。」

 

 二人目はKさん。日本で生まれたインド人の大学生だ。
 「私自身が日本で生まれ、育ちました。現在大学生です。私の両親は20年前にインドから来日しました。父親はインドでの宗教の対立と地元警察の拷問から身を守るために庇護を求めてやってきました。母親もあとを追って来日し、(日本)国内で結婚しました。その後、私は生まれました。

 私は大学生になった今も、仮放免という状況で生活しています。仮放免では働くことが認められておらず、県外に出かける際には、そのつど入国管理局に出頭して許可をもらわなければなりません。大学で通学する際も許可が必要です。

 また、仮放免では住民票が作成されないので、健康保険に加入することができないなど行政のサービスを受けることが不可能です。

 私には高校生の弟、妹がいますが、彼らも仮放免でして、アルバイトをしたくてもできません。

 私自身が病気をもっていまして、地元の病院に通院していますが、健康保険がないので、診察とお薬の費用が10割負担です。とてつもない金額になります。働けないのですぐに支払うことは難しいです。

 現在私は大学生ですが、将来は就職したいと考えております。しかし、仮放免の状態では就職活動もできません。仮放免では様々な制約があるので、とてもつらいです。小中高さらに大学まで一生懸命勉強してきたにもかかわらず、将来への道が開かれないことがとても悲しいです。

 人間は自分の意思で生まれる場所や環境、親、日付を選べません。私の兄弟はあえて特殊な事情の親を選んだわけではありません。私の兄弟はずっと日本語で教育を受けて生活してきましたし、第一言語が日本語なので、いまさら親の出身地に行くことはけっしてできません。私と兄弟は、日本で生まれたからには、やはり国内で一生懸命がんばっていきたいですし、将来は日本国籍も取得したいと考えております。

 最後になりますが、私以外も特殊な事情があるものの日本で生まれ育った子どもたちは、国籍を問わず日本語が堪能ですので、正規の在留資格が得られれば、将来必ず日本に貢献してくれると思います。いま必要なことは従来の制度よりいっそう柔軟な対応が必要だと私は思います。よい方向に向かうことを心から信じています。以上であります。

 3人目はミャンマー国籍の女性、ティンティンさん。30年前に来日し、ずっと難民申請しているが認められず、仮放免中だ。きのうミャンマー大使館に行って風邪をひき発熱があるので、会場に来れなくなったという。電話で大要以下のような話を聞いた。

 きのうは、ミャンマーでのクーデターに反対する国民に呼応して、軍事政権の仕事をするのをやめてくれとボイコットの勧誘をし、アウンサンスーチーさんの解放を要請するするためにミャンマー大使館に行った。
 日本に来る前は、軍事独裁に反対するデモをして弾圧を避けて日本に来た。
 アウンサンスーチーさんが解放されて政府に入ってから」、日本の入管の言うことが変わった。「もういい国になったんだから帰りなさい。もう難民じゃないよ」と言うようになった。でも、軍部はずっと力を持ち続けてきたし、いまはもうこわくて帰れない。
 日本にずっと住めるように難民認定してほしい。

 

 大学生たちが「就職ができない」というのは、きのう書いたように、仮放免中は、就業も。終活自体できないわけだ。もちろん企業だって在留資格のない外国籍の人を雇うわけがない。

 実は、仮放免の家族から高校より上の学校に進学できた人は限られている。去年、日本人支援者のおかげでクルド人として初めて大学に入学した人もいる。
 建前上就労できずに経済的に苦しい場合が多いし、多くの大学や専門学校が在留資格のない外国人の入学(受験も)を認めない。

 健康保険に入れないのもひどいが、、許可のない他県への移動なども禁止されるので、東京在住の人が神奈川県の川崎に行って友だちとご飯を食べるにしても、事前に入管の許可をとっていないことがばれたら収容されてしまう。

 日本で育って日本語しかしゃべれない子どもたちである。誰が見ても在留資格すら認めないのは理解しがたい。こうしたケースも今回の野党の法案では救済されることになっている。法案が通ることを期待する。

 

法務省前で入管法改悪反対行動

 きょうは寒風の吹くなか、16時から法務省の前で「入管法改悪反対共同行動」が行われ、シュプレヒコールをあげ、入管法改悪案を提出しないよう求める法務大臣あての申し入れ書を届けた。

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 およそ100人の参加者のなかには若い人が意外に多い。リベラル系の運動はどこも団塊の世代ばかりになっているのに、ここは頼もしい。

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何人かの外国人の姿も

 残念ながら、まだあまり知られず大きな問題になっていないのだが、いま入管法が非常に危険な方向に改悪されようとしている。

 端を発したのは、2018年に入管に長期収容されていたインド人の自殺、翌19年5月に始まった収容所内での大規模ハンストとその過程で6月に起きたナイジェリア人の飢餓死という一連の事件だった。
 難民申請中の人を含む在留許可のない外国人たちは、事実上無期限に収容する日本の入管の制度のもとで、心身を病み「人間が壊れる」ほどに追い詰められている。

 国連からも国際人権法違反だと批判されているこの長期収容を「解消」すべく、刑罰で脅し、難民申請中の人を手続きが終わる前に送還可能にするなどして、はやく処理しようというのが今回の改悪だ。

 これについてはまた詳しく書きたいが、きょうは入管の収容の実態をさらに知っていただきたく、先日公開した「高世仁のニュース・パンフォーカス」から引用したい。

www.tsunagi-media.jp

髙世仁のニュース・パンフォーカス 
足元にいる「難民」にも目を向けよう(その2)

 東京五輪パラリンピック大会組織委員会森喜朗会長の女性蔑視発言で、日本の女性の人権に注目が集まっています。この機会に、日本で外国人の処遇に深刻な人権侵害があることにも目を向けたいと思います。
 前回に引き続き、日本の入国管理行政の問題点を考えていきます。

 法務省の入国管理施設9ヵ所に、国外退去処分を受けた外国人が収容されています。
 国外退去処分を受けた人のほとんどは、自費で帰国するか国費で送還されていますが、なかには帰国できない事情のある人がいます。
 その多くは、母国で迫害を受ける可能性がある難民申請中の人たちです。また、日本人と家庭を持つなどして日本に生活基盤ができたために帰国できない人たちもいます。

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被収容者中の難民申請者の割合。4分の3を占める。(難民支援協会の資料)

 こうした帰国を拒む外国人を、出入国在留管理庁(入管)は「送還条件が整うまで」という建前で収容します。およそ2800人が、入管の施設に収容されるか、または一時的に解放される「仮放免」の状態でいるといわれています。
 この入管の収容措置が「国際人権法と国際人権規約に違反している」と指摘されるほどひどい状況をつくっているのです。

 2月3日、私はある裁判を傍聴するため、茨城県水戸地裁土浦支部第2法廷にいました。
 午後2時半、被告人が法廷に入ってきました。手錠、腰縄をつけられた体は痩せ、うつむいた顔は青ざめています。被告人はヤドラ・イマニ・ママガニさんというイラン国籍の54歳の男性です。
 ヤドラさんは、茨城県牛久市の「東日本入国管理センター」(牛久入管)に2016年7月から収容されていました。収容期間は4年を超えます。
 去年9月1日、ヤドラさんは、牛久入管2階の医務室そばのトイレに入り、隠し持ったビニール袋に自らの糞尿と水道水を入れ、トイレから出たあと、それをまき散らして壁や天井を汚すという事件を起こしました。
 ヤドラさんは逮捕され、入管施設におよそ85万円の被害を与えたとして建造物損壊罪で起訴されたのです。 

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水戸地裁土浦支部前に集まった支援者たち 起訴状にある被害額は支援者たちがカンパで調達したという (筆者撮影)

 この日の公判で、ヤドラさんは、起訴状の事実関係をすべて認めました。
 そのうえで、被告人側の情状証人として、被収容者を支援している「牛久入管収容所問題を考える会」(牛久の会)の田中喜美子さんが証言台に立ちました。田中さんはヤドラさんと面会を続けていて、事情を詳しく知っています。
 
 田中さんは、牛久入管では収容が長期化し、被収容者たちのストレスが募って、心のバランスを崩す人が相次いでいることを証言しました。

 前回のコラムで紹介したように、入管では期限を示されないまま、刑務所以下の厳しい環境のもとでの収容が続けられています。牛久入管でいま最も長く収容されている人の収容期間は7年にもなります。被収容者は、施設内で自殺する人が出るほど心身ともに追い詰められ、それに抗議してハンガーストライキも起きています。

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被収容者の内訳 長期に収容される人が増えている (難民支援協会の資料)

 牛久入管では去年春から、コロナ対策で「三密」を避けるため仮放免を進め、300人以上いた被収容者がおよそ100人まで減りました。しかし、仮放免の対象にならなかったヤドラさんは「なぜ、4年以上も収容されているのに出られないのか」とふさぎこんでいたといいます。入管は仮放免を許可する基準を明らかにしていません。
 7月ごろからヤドラさんが目に見えて憔悴してきたため、田中さんはなるべくひんぱんに面会するようにつとめていました。ヤドラさんからは助けを求める手紙も届けられました。難しい漢字を使いこなした、しっかりした日本語の文章です。

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ヤドラさんの田中さんあての手紙 (田中喜美子さん提供)

「精神的にも肉体的にも色々追い詰められて、毎日辛いです。
 新聞やテレビを見ると社会ではペットや野生動物の虐待や苛め等に社会の皆様が関心をもって、問題にしたり、採り上げられて裁判所や警察署に訴えられていますけど、ここで収容されている難民達がどんなに酷い目にあっても虐待されていることもどうにもならないです。」(原文のまま)

 手紙にある「虐待」とは、とくに収容施設の医療スタッフから理不尽な扱いを受けていたことだといいます。
 新任の男性医師の嫌がらせがひどく、心身の不調を訴えても診療を拒否される一方、説明もなしにスタッフに体を押さえつけられて無理やり点滴をされたこともあったとのこと。また、壁際に体を押しつけられて「犯罪者」と罵られたり、「あなたの人生は私の手の中にある。気にくわないなら日本から出ていけ」などの言葉を投げつけられたとも訴えていたそうです。

 私自身、面会した牛久入管の被収容者から、収容施設内の医療に対する不信感を何度も聞かされました。
 3年半収容されている、中東出身のある男性は、心臓に病気をもっており、去年9月、牛久愛和総合病院の専門医から「ニトロぺン舌下錠」の処方箋をもらいました。これは心臓発作のさいに飲む、よく知られた即効性の薬です。
 ところが入管の医師は「そんな薬は必要ない」と処方を拒否。そこで男性が病院の専門医に訴えると、その専門医は「ニトロペン」が彼に必要だとする書類を出してくれました。男性は書類を入管の医師に見せましたが、それでも再び処方が拒否されたといいます。
 私たち外部の者が被収容者と面会するのは、アクリル板ごしになります。男性は病院の書類や処方箋をアクリル板に押しつけて見せてくれました。たしかに病院のレターヘッド付きの書類に、担当医の名前入りで「ニトロペン」の必要性が書かれています。そして処方箋の方は、「ニトロペン」の上に大きな赤いバッテンがつけられ、処方が拒否されたことを示していました。
 これは弱い立場の被収容者への「暴力」にほかなりません。

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牛久の「東日本出入国管理センター」にも梅が咲いていた(2月3日筆者撮影)

 田中さんはこの日の公判で、被収容者が自分の糞尿で施設を汚す行為が、ヤドラーさんのケース以外に「過去、何回もありました」と証言しました。
 こうした行為をした被収容者は、精神を病んでいるとして「茨城県立こころの治療センター」へ送られ、治療がすむと仮放免されてきたといいます。
 今回ヤドラさんには逮捕、起訴という異例の措置が採られました。被収容者に対して締め付けが厳しくなっているのではと、田中さんたちは懸念しています。

 事件後、田中さんが警察の留置場でヤドラさんと面会すると、本人もショックを受けているようすで「大変なことをやってしまった」と悔いていたといいます。ヤドラさんは事件当時、心神耗弱の状態だったと田中さんは理解しています。
 ヤドラさんは、本来は真面目できれい好き。世話好きで同情心が強く、お金を寄付してくれることもあったそうです。
 田中さんは、本人はいまとても反省しており、解放されたらお年寄りの面倒を見るボランティアをしたいと言っている、寛大な処置を求めます、と証言を締めくくりました。
 ヤドラさんの事件は、入管の収容制度の運用が「人間を壊す」ほどの過酷な状況をつくっていることを示したと思います。

 ヤドラさんたち長期の被収容者の願いは、一日も早い「仮放免」です。
 仮放免は人道的配慮から一時的に収容を解く措置ですが、しかしそれは自由で人間らしい生活を意味するわけではありません。
 仮放免されるためには、就労をしない、許可なく他県に移動しない、などを約束させられ、保証人が保証金を納めます。仮放免の期間は1,2ヵ月で、随時更新の手続きが必要です。
 実際には、家族とともにながく地域で暮らしている多くの仮放免者がいます。建前上は就労が禁止されていますが、生活保護は受けられず、生きていくには働かざるをえません。健康保険もないまま、3K職場でお金をかせぐことになります。

 私が牛久入管で面会した被収容者のなかに、仮放免中に解体の仕事をしていた人がいました。ある日、隣の県の解体現場で作業中、交通事故に遭いました。警察に届けたところ、就労と他県への許可なき移動がばれてしまい、仮放免が取り消され、即収容されたといいます。
 仮放免されても、いつ収容されるかびくびくして暮らさざるをえないのです。

 親が在留資格をもっていなければ、子どもも不法滞在となります。いま全国で、在留許可のない仮放免の子どもたちがおよそ300人いるといわれています。多くは日本で生まれ育ち、日本語しか話せません。彼らにとっての祖国は日本なのに、働くことも、高等教育を受けることもできない自らの将来に、大きな不安を抱えながら暮らしています。

 難民申請が拒否されたといっても、それは犯罪ではありません。在留許可がないという理由で、非人道的な扱いがこのまま放置されてはならないと思います。

「ISの人質」は再びカメラをもった

 13日夜の福島県などを襲った最大震度6強地震とそのあとの余震が各方面に打撃を与えている。

東日本大震災、コロナ禍、今回の地震と災難が続いて心が折れそうです」

 福島県相馬市の旅館経営者の言葉を朝日新聞16日夕刊が伝えている。

 大震災では津波で浸水して被害を受け、原発事故の風評被害を乗り越えようとしていたところに、コロナウイルス感染拡大で宿泊客も宴会も激減。貯金を切り崩しての営業を強いられた。
 Go Toトラベルと福島県独自の宿泊客1泊5千円の助成プランは「第3波」で中止に。県の支援策への申し込みが再開する15日を控え、相馬市が設けた同様の支援策の利用期限が今月末に迫る中、襲ったのが今回の震度6強地震だった。

《客室の天井が落ちたり壁が壊れたりして14部屋すべてが使えなくなった。大浴場も配管が破損。すぐに修理したエレベーターは14日の余震で再び止まった。市の支援策の駆け込み客らで予約が埋まりつつあったが、地震を受けて約60人にキャンセルの連絡を入れることになった。》(朝日新聞16日夕刊)

 一方、飲食店は15日から時短営業明けを控えて、食材を仕込んでいたところだったという。
 
 被害の出た地域にお見舞い申し上げます。安寧な日が早く戻りますように。
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 日曜、東京はよく晴れ、自転車で多摩川まで出かけた。

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土手の桜のつぼみはまだ固いが

 春が近づいているのを感じる。

・・・・・・・・・・・。
 『ある人質~生還までの398日』という映画が19日から全国で公開される。

398-movie.jp


 これはIS(イスラム国)に誘拐されたデンマーク人ジャーナリスト、ダニエル・リュー氏が帰還するまでを実話にもとづいて描いている。

 ダニエル・リュー氏は、元デンマーク代表体操選手というアスリート。報道カメラマンとしては駆け出しで、ISにつかまった時、24歳だった。
 2013年5月にトルコの国境の町、ガズィアンテプから案内人とともにシリアのアザズを目指して国境を超えた。翌日にはISに拘束され、「スパイ」の嫌疑をかけられて激しい拷問を受ける。その苦しさは自殺を図るほどだった。

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拘束されて1カ月半後に家族に届けられたリュー氏の写真。2013年6月30日Majeed(交渉人の名前)のメモを持っている


 ISの監獄には、のちに処刑される米人ジャーナリストのジェイムズ・フォーリー氏ら他の欧米人人質もいたが、多くはその後殺されてしまった。リュ氏は、解放後初めてのBBCのインタビューで、「後に多くの仲間を残してきたことが恥ずかしい」と語っている。

 デンマーク政府は日本と同じく、テロリストとは交渉しないという立場をとるなか、家族たちがカンパを集めてプロの「保安コンサルタント」に交渉の仲介を依頼してリュー氏を救出したのだった。

 この事件については、自身が危険地を取材するジャーナリストであるプク・ダムスゴー氏がリュー氏はじめ関係者に広く取材して『ISの人質』(The ISIS Hostage)というノンフィクションを書いている。おそらくこの本が映画のベースになったのだろう。

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光文社新書

 報道カメラマンとしてはほとんど実績のない彼が、単身シリアに乗り込むとは、あまりにも無謀だと言われても仕方ない。
 ただ、彼が撮りたかったのは戦闘ではなかった。
「戦火から逃げようとしないシリア人、あるいは逃げたくても逃げられないシリア人を取材し、この非常事態にどんな暮らしをしているのか知りたかった」(P60)

 リュー氏はシリア行きの前に一度だけ取材旅行をしている。行く先はイエメンの首都モガディシュだった。
 彼はそこで撮った写真を「戦争の地に生まれれ」という白黒写真シリーズにした。
 リュー氏は、廃墟の中で子どもたちがサッカーに興じている様子を撮影し「これほどの破壊のただ中にあっても(略)その人生を謳歌している姿が愛しく感じられ」たという。
 この写真シリーズは「戦火にまみれた街にも、信じられないほどの希望があふれていることを証明していた」と著者のダムスゴー氏は評している。

 また、国境を超える前、事前調査でガズィアンテプに言って案内人と打合せし、いったんデンマークに帰って準備するなど、無鉄砲なだけの一発屋ではなかったことをうかがわせる。

 現在31歳になったダニエル・リュー氏は、NHKのインタビューにこう語っている。
「2013年シリアに行ったとき、まだ進出間もないISは他の武装組織と大差ないと思っていた。
 私は間違った時に、間違った場所に行ってしまった。
 十分準備して行ったつもりだったが、未知の組織には備えられなかった。」

 ISが新組織として旗揚げしたのが2013年4月8日で、リュー氏がシリア入りしたのが5月15日。まだISが他のイスラム復古主義の過激派とどう違うのかも知られていなかった時期である。また、ヌスラ戦線など他の過激派につかまった外国人たちは多くが数日で解放されていた。

 監督のニールス・アルデン・オプレヴ氏は、ハリウッド映画のような感じではない、リアルな映画を作ることをめざしたという。
 拷問のシーンなどは真に迫った描き方のようだ。

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拷問もリアルに描いたと監督はいう(NHK国際報道より)

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TEDで拷問のようすを説明するリュー氏「生きて帰れるのか、拷問の末殺されるのか、まったく分からず不安だった」という

 出来上がった映画を観たリュー氏は;
「私にとって映画を見ることはバラバラになった記憶の断片をつなげる作業でした。
 私が目隠しされている間がどんな状況だったのかを見てしまったんです。気がおかしくなるほど泣いてしまいました。」

 交渉の結果、身代金を払って解放されたことについては;
「ISにとって私は金をもたらす有益な“モノ”にすぎなかったのです。
 生きて帰ることができたのは、身代金が支払われたから、ただそれだけです。」

 しかし、人質のみんながリュー氏のように助かったわけではない。
「前線が間近に迫り、ISは移動を余儀なくされ、人質のシリア人はほぼ全員殺されました。ISの輸送能力が限られていたからです。」

 金づるになる外国人は移動させられたが、身代金を払わない場合は殺された。

 リュー氏は、のちに殺されたフォーリー氏から家族へのメッセージを託され、何度も繰り返し暗記して米国の家族に伝えている。

 地獄のような拘束の日々を送ったリュー氏だが、なんといま彼は取材を再開、カメラをもって世界の紛争地などを回っている。
「私が帰国すると、デンマークは日常のままでした。
 難民問題は2015年に深刻化し、デンマークでも難民たちが高速道路を歩いてやって
 この映画はいろんな見方ができると思うが、ISに殺害された日本人の湯川遥菜氏、後藤健二氏やシリアで3年以上拘束された安田純平氏を想起させ、観ないわけにはいかない。
 駆け出しのジャーナリストがISにつかまったりしたら、日本では「自己責任」論が吹き荒れるだろうな。そんなことも考えさせられる。