伝統の上に新たなものを

takase222015-04-12

久しぶりに徹夜。
取材された映像素材を仮編集したものを、夕方から社内でプレビュー(試写)。その後、その構成台本を、あーだ、こーだと検討した。終わったのが朝7時。
3時間仮眠をとったが、やはり眠い。

朝、近所の人との勉強会があったのだが、これはパス。
でも、14時からの森本喜久男さんの「出版を祝う会」には、時間を工面して参加した。

森本さんについては、何度か書いた。タイとカンボジアで30年以上、伝統の織物を復興し発展させようと活動を続けてきいる。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20140109
カンボジアに村をつくった日本人』白水社)の出版を記念して、新宿で開かれた。

森本さんはあいさつで、いろんな人と巡り合ってきたことの縁を語り、その中で、私を「1983年、クロントイ(バンコク最大のスラム)で火事があったとき、たまたま出合って以来お付き合いいただいている」と紹介してくれた。
ああ、そうだったかなあ。

当時、カメラマンだった私には、スクウォッター(不法占拠者)を追うドキュメンタリー、麻薬や売春などのニュース特集の撮影やコーディネーションの注文があって、よくスラムに通っていたのだ。牛山純一さんの仕事をやったこともある。
「スラムの天使」といわれたプラティープ先生とも親しくなり、ずいぶん助けてもらった。
急に、「ヘロインを打っているシーンの撮影」などという注文がくる。困って先生に相談すると、「内緒だよ」と言って、麻薬中毒の住人を紹介してくれたものだ。
火事があると、密集した長屋のようなバラックはすぐ燃え広がり、膨大な数の住民が焼け出された。それは「絵になる」光景であり、私も「スラムの火事」というニュースとして撮影した覚えがある。

森本さんは、無謀といわれることをいろいろやって、経済的に追い詰められたときが何度かあったそうだ。ときには、手元に数ドルしかないということも。
テレビ番組のコーディネーションなどのバイトで食いつなぎ、プロジェクトではいつも持ち出しだったのが、「2004年に、ついに収支トントンになったときは、自分でも感動しました」という。
いい人生じゃないですか。

挨拶は、次第に熱を帯び、「伝統」と「現代」の話に
伝統「と」現代と対比されるが、実は、現代は伝統の上にある。私たちは、伝統を基にして新しいものを作っていななければならない、と。
また、多くの人は、絹というのはみな同じだと思っているが、私たちの黄色い繭を使った伝統養蚕の絹は全然違う。日本各地の伝統織物といわれるものは中国産の安い、細い絹糸を使っているから、私たちの布のようなボリューム感が無い。
沖縄、久米島の人に黄色い繭で織った布を差し上げたら、違いが分かったらしく、いま久米島に昔あった繭の復興がはじまった、とのこと。
新聞記事にもなっていた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-191713-storytopic-5.html

伝統を大事にする保守主義は、私が大いに評価するところだ。
別れに握手して、「1年以内に『伝統の森』を訪問します!」と言ったが、さて、実現するか。