北大生とイスラム国との接点10日10:30更新

takase222014-10-09

横田滋さんがけがをしたというニュースが入った。
滋さんは、川崎市の自宅近くの路上で転倒して前歯を折るなどのけがを負い、救急車で搬送されたという。このため、早紀江さんが兵庫県西宮市で9日午前に開く予定だった講演会は中止となった。
滋さんは、近年足が衰え、歩き方がたどたどしくなっていて、私も心配していた。
ご夫妻も81歳と78歳。高齢者は、転んだことがきっかけで寝たきりになったりするので転倒にはほんとに用心しないと、と介護関係で働くかみさんは言う。
滋さん、幸運にも骨折は免れ、入院はしていないという。
早くよくなりますように。
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アメリカによるシリア領爆撃、英国のイラン領爆撃参加、国連安保理決議など一連のイスラム国つぶしの動きとはうらはらに、その勢いはむしろ盛んになっているように見える。
要衝コバニが陥落しそうだ。

《過激派組織「イスラム国」が、戦闘員や物資の供給路となっているトルコとの国境地帯の制圧に向けて一段と攻勢を強め、シリア領の都市、アインアルアラブ(クルド語名コバニ)が陥落する可能性が出てきた。国境地帯の支配権をイスラム国が握る事態となれば、同勢力がさらに実力をつけ、シリアとイラクにまたがる形で続く武力紛争が一段と長期化する恐れがある。》(日経)

いま起きている北大生がらみの事件は、いわゆる「国際社会」が、イスラム国を「残虐非道なテロ組織」として抹殺しようとする流れの中で起きている。
しかし、ひとりイスラム国だけを「悪」として叩くのは逆効果で、かえってこの地域を不安定にするのではないか。

アメリカは、シリアでは「自由シリア軍」(FSA)を、イラクでは政府軍とクルド人勢力を支援することで状況を好転させようとしているが、シリアに空爆を開始するや、イスラム国と敵対しているはずの自由シリア軍内から「空爆反対」の声が上がっている。
9千人を殺したとされるイスラム国に対する爆撃は、20万人を殺し、人口の半分近い約1千万人を難民にしたアサド政権を助けることになっているからだ。
これについてはまた書こう。
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新聞を読み比べているが、東京スポーツの9日付けの記事「北大生の素顔」がよく取材して書いてある。
記者は、常岡さんが北大生を撮影した映像を見ており、風貌をユニークに描いている。
「北大生はEXILEのAKIRA(33)似のワイルド形イケメン」。うーん、たしかに似ているなあ。

北大生が「イスラム国」に参加するため、シリアに渡航しようとし、警視庁公安部が6日、関係先を私戦予備・陰謀の疑いで捜索した事件。
北大生はどのようにしてイスラム国との関係を持つことができたのか、事件に登場する人物たちの証言から描いてみよう。

先の東スポはこう書いている。
《数学を専攻していたという北大生は、今年4月に東京・秋葉原でSF本を主に扱う古書店で「求人 勤務地:シリア」の張り紙を見て、連絡を入れたという。張り紙をしたのは店主とみられ、親交のあるイスラム法学者の元大学教授(54)に北大生を紹介。元大学教授はシリア行きへの計画を進めると同時に、シリア事情に精通している常岡氏に同行取材を要請した。》
以下、敬称略で書く。

元大学教授とは中田考で、ハサン中田と呼ばれ、9月5〜10日に常岡浩介と一緒にイスラム国を訪問している。(これはフジTVのMrサンデーで放送)
中田がイスラム国(以前はヌスラ戦線、そしてISILと名称が変わる)の支配地に初めて行ったのが去年3月だったという。
イスラム国支配地には2013年3月、9月、12月、2014年3月、9月と5回も訪問しており、この集団ともっとも密に接している日本人と言っていいだろう。
一方、去年、常岡は単独でトルコからシリアへの潜入を試みていた。国境の山を越えると、イスラム国(当時はヌスラ戦線)支配地に迷い込んだ。ひょんなことから、イスラム国幹部のオマル司令官と知り合うことになった。このオマル司令官は、イスラム国幹部のなかではかなり「フレンドリー」な人らしく常岡を丁重に扱ってくれたという。しかし、常岡はアラビア語ができず、オマル司令官と意思疎通が難しい。そこで、旧知のイスラム法学者中田考を紹介した。
その後、アラビア語の堪能な中田は、オマル司令官と電話やネットで交流、シリア行きを希望する二人の橋渡しをすることになる。

張り紙をした「大司教」と言われる人物は、古書店の店主ではなく店員だが、中田とはツイッターで5年ほど前に知り合った。ハンドルネームは「大司教」。その仲間にハンドルネーム「ホワセブ」の北大生もいた。中田は「大司教」に2、3年前に会っている。

では、「大司教」はなぜシリア行きのリクルート張り紙を出したか。
中田は8日、参考人として家宅捜索を受けたが、同日、中田の経営する会社が「中田考への任意の聴取及び家宅捜索に対する弊社見解」を出した。そこから引用すると;
《本件は、中田がイスラーム国の前身であるヌスラ戦線、イラクとシリアのイスラーム国を訪れ、現地の友人たちから彼らの月給が30−50ドルであることを聞き知り、それをツイッターなどで人々に知らせたことから、既知の古書の店員がイスラーム国に行けば戦闘員として有給で暮らせると理解し、店舗に求人の貼り紙を掲載したのが発端です。古書店員の周りには、変わった職業に興味を持ち求職中である若者が多く集まっていると伝え聞いており、本件張り紙はその活動の一環としてなされたものと推測しております。》

イスラム国で戦闘員になれば、何とか食べていけるから行かないかと誘ったら、応募する人が複数いた。応募してきた北大生らを「大司教」は、イスラム国へのパイプを持つ中田に紹介した。こういう流れだ。
中田は、紹介された北大生と千葉県の23歳男性の二人をイスラム国への渡航を支援することにした。
イスラム国のオマル司令官に連絡を取り、二人が行きたい旨を告げると、「歓迎する」との返事をもらった。二人はイスラム教に改宗し、出発は8月11日と決まった。
こうして、中田―オマル司令官のラインで、二人のイスラム国行きが準備されていった。

「若者がイスラム国に行くのをなぜ止めないのか?」という世間からの批判に対して、中田はどう答えるのか。

《中田は、イスラム世界において幅広い人間関係を持ち、本件以外でもエジプト・トルコ・イラン・マレーシアなどへ、希望する学生の留学の手配を行っており、本件もその一環に当たります。また厳密に言うと本件は戦闘員(ムジャーヒド)である前に、移民(ムハージル)として日本人が一人イスラム国に行くということが中田からイスラム国幹部に伝えられています。》

「どんな思いでこういうこと(北大生らとイスラム国を仲介したこと)をしたのか」と記者に聞かれた中田。
答えは;
《人生は面白く生きて面白く死ねばいい。死にたいという人には『いいところがある』と伝える。(略)私はイスラム国に忠誠を誓っておらず、勧誘もしていない》(朝日新聞9日朝刊)

中田は、非常に正直に答えている。
(つづく)
参考
家宅捜索直後のIWJによる中田インタビュー
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/180682
「弊社見解」
https://docs.google.com/document/d/1197q4kSnMyfCCZ6ge7lMHthvkQ0V_jHjibE7QD5nu_U/pub