北大生は違ったフィクションに生きたかった9日17時更新

きのうはせわしかった。
早朝5時半に枕元の携帯が鳴った。床についたのが3時過ぎなので眠い!もうろうとして電話に出ると、ある民放局の私の知らない記者だった。ブログを見たという。
「常岡さんと連絡がつかないんですが」。
そりゃそうだ。スマホ、携帯合わせて8台を押収されたのだから。
常岡さんの新しい携帯電話番号を記者に教えて切ると、すぐ別の二つのテレビ局から電話が来た。朝食後、通信社と新聞社から電話。みな常岡さんへの取材希望だ。

10時すぎ常岡さんに会う。
朝からすでに何回かインタビュー取材されたという。
日テレで、常岡さんのインタビュー取材に付き添う。日テレの取材が終わって、外に出ると、二つのテレビクルーが待ち構えている。
テレビのインタビュー中も、常岡さんの携帯電話が引っ切り無しに鳴る。常岡さんがこんなにマスコミに取材されるのは、2010年、アフガンで誘拐され半年後に解放されたとき以来だ。
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今回、「イスラム国」の戦闘に参加を目指した日本人が摘発され、常岡さんは、その幇助の疑いがあるとされているようだが、そもそも、この日本人はどんな人でなぜ「イスラム国」行きを希望したのか、日本人送り出しの組織などがあるのか。

ここに、常岡さんが問題の北大生に対して行なったインタビューを紹介しよう。
北大生Aともう一人、千葉県の青年B(23歳)の二人が、8月11日にイスラム国に向け出発予定だった。常岡さんは8月はじめ、イスラム法学者中田考さんに、二人の同行取材を持ちかけられ、一緒にシリアに向かうことにした。
インタビューは出発直前の5日に、都内のサイゼリヤで行われた。

マスコミでは断片的にしか紹介されていないが、通して見てみると、どういう人間かがイメージできるだろう。
(Qは常岡さん、なお、インタビューは一部省略してある)

Q:シリアに行く言いだしっぺはBさん?
「いえ、7月末に二人で会う機会が初めて。だから、最近会ったばかりです。全く知らない人でした。」

Q:Aさんは、どんな経緯で今にいたるのか?
「『大司教』といわれる人を昔から知っていて、彼と会う機会があって、彼があまり合法的ではない経緯で経営している店があって、そこには張り紙(シリアに行きたい人は連絡してくださいと書かれた)があって、「なにこれ、おもしろそうだ」で行ったのが経緯。」

Q:Aさんの職業は?
「僕はいま大学に所属している。でも、すべて投げてきた。急にすべてそのままにして。失踪扱いで来た。大学のスケジュールとか仕事とか投げ捨ててきた。」
Q:なぜ、とみな疑問に思うと思うが。
「僕個人として積み上げたものは価値はないと思っている。このきわめて個人的な事情と、シリアというところが魅力的だと思ったことを二つ合わせて。」

Q:個人的な事情とは?
「社会的な地位とか社会的なものにあまり価値を感じられなくなったという、ただ、それだけのことです。ただ、それだけ。」
   
Q:もう一つの、シリアに行く魅力とは? 
「そこには戦場があって、全く違った文化があって、日本と全く違うイスラムという強大な宗教によって統治というか、民衆が考えて行動している。
僕は今日本の中で流通しているフィクションというものにすごく嫌な気持ちを抱いていて、向こう(シリア)のフィクションの中に行けばまた違う発見があるのかなと、まあ、それぐらいですね。」

Q:「日本で流通しているフィクション」とは?
「生活する基盤となっている、考え方であるとか、ある種の信仰であったりとか。」

Q:イスラムは別のフィクション?
「偉大なアラーがいて、アラーの下で、信仰している人の中で形成される生活の基盤となる何か。そういうものの上で、自由に生きられるのでは。」

Q:コーラン読んだり勉強したりは?
「もともとキリスト教とかをかじって勉強していて、その流れで、コーランを読んだことはある。」

Q:シリアで戦うというと、一般的な日本の人は「エーッ?」という感じになるが?
「僕は一般的なものがあまり好きじゃないので。戦場とか、特異的なものとか、そういうものを行なってみたいという気持ちはある。」

Q:殺す、殺されるになるが?
「それも含めてフィクション。
日本人におけるそういうものと、戦場における、例えば人殺しは、重みが、比重が違うわけです。生活の一部として存在しているか否か。そういうものの違いっていうものを感じてみたいなと。」

Q:自分が殺す場面になったら、ためらいとか起きないか?
「ためらいとか起きたら、それは喜ばしいことだと思います。」

Q:喜ばしい?
「自分の中のフィクションを自覚することは、人生をかけて行ってきたことなので。
まあ、完全に個人的な話なので。」

Q:自分が殺される可能性もあるが?
「別に大した問題ではない。」

Q:恐怖心は?  
「恐怖心は、起きたとしても大した問題ではない。
日本に生きてても、1、2年の間にたぶん自殺したと思うんで。まあ、1年と2年、戦場で死ぬか日本で死ぬかが違うだけ。」

Q:もともと、シリアの政治、戦争については関心があった?
「ニュースで追いかけていたくらいの知識。」

Q:シリアに関心があるからというよりは、そういうことがやれれば、どこでもいい?
「僕が参画したことによって、何らかの政体ができて、その政体によって救われる命があれば、結果オーライとして、いいことだろうな。それくらいの気持ち。」
Q:政体?
「カリフ制が起こって、それによる支配が完成して、その中で、民衆が平和に生きられる。そういうことがおきれば、結果としていいことだと思います。
それ以上の積極的なイデオロギーは持っていない。」

Q:カリフ制に共鳴したわけではない?
「あったら、面白いだろうな。それくらいの気持ち。そういうものがあったら、まあ、すばらしいだろうなと。」

Q:帰国はしないつもり?
「そうですね。現地で戦ったり、生活基盤ができたとすれば、そういう形で生きていこうかなと思っています。
ただ、日本製のいい物を持っていったら、例えばそれが、ある種の利権になって、それを有効活用して戻ってきたりというのはするかもしれません。」

Q:海外は?
「海外ははじめて。」

Q:海外がはじめてで、シリアの戦場へ?
「まあ別に。たまたまそうなった。神のみぞ知る。ふふふ」

彼はずっと微笑みながら、どんな質問にも、すぐに、とても早口で答えている。
繰り返される「フィクション」という言葉、1〜2年のうちにどうせ自殺するとの答えが印象に残る。
彼のツイッタ−だと言われているgravestone11 (https://twitter.com/search?q=gravestone11&src=tyah)にも、死にたい、死のうというツイートが何度も出てくる。
今の中東情勢やシリアの現状などには関心がなく、イスラム国を強く支持しているわけでもない。
日本で生きることに嫌気がさし、全く違う状況(フィクション?)の中に自分を置いてみたいようだ。

もう一人の千葉県の青年は、ミリタリーオタクで、実地の戦場で武器を使ってみたいというのが動機のようだ。
リクルートの「張り紙」を出した「古書店主」は相当の変わり者らしく、悪戯心だったようだ。この張り紙はネットの世界では、一部で話題になっていたという。
これを見た、見知らぬ者同士が、きわめて個人的な願望をもとに応募したというのが実態ではないか。

冒頭の質問で、二人の関係も知らぬまま、インタビューに臨んでいることが分かる。常岡さんはこの数日前、中田考さんから二人を紹介され挨拶していたが、まともに話を聞いたのはこの日がはじめてだったという。
常岡さんの声の調子から、この人本気なの?と驚きながら質問していることがうかがえる。
常岡さんは二人に対しては、あくまで取材者として関与しているのであり、それ以上ではない。

また、今回の事態が、「組織的な戦闘員の送り込み」などでないことも明らかだ。