石川文洋さん、東京に到着

 きょうがうちの会社は年度末。財務上は2018年度が終った。実に苦しい年度だった。
 明日から師走。会社としては新年度が始まる。さあ挽回しなくては。
・・・・・・・・・・・
 二つの放送案内です。
 12月5日から
《秘蔵映像 独占公開 赤筭不二夫“生前葬”と3人の弔問客―立川談志川内康範野坂昭如
 “ギャグ漫画の王様”赤塚不二夫の没後10年目に当たる今年、未公開の秘蔵ビデオが出てきた。約12時間にも及ぶその内容は、赤塚の友人たちが“弔問”に来て、“幽霊”の赤塚と酒を酌み交わしながら対談するという奇想天外なもの。弔問メンバーは、立川談志川内康範野坂昭如。みな故人となって今ではもう話を聞くことができない大物ばかりだ。
 ことの発端は、1998年、食道がんを患っていることを公表した赤塚に、『サンデー毎日』が「弔問対談」を依頼したこと。白装束の赤塚が表紙を飾った2000年の新年号から前代未聞の連載対談「これでいいのか」が始まった。今回見つかったのはその対談の動画。戦後無頼派の面々が、現代の私たちに残したメッセージとは・・・。
 12月5日(水)23:00から約40分 TBS CS放送TBSNEWS「特選ドキュメンタリー」で
 以後12月の毎週水曜同時刻に再放送/ネット配信 TBSNEWSサイト(YouTubeTBSNEWS公式チャンネル)にて12月5日から19年2月28日まで

 12月7日、山形県内だけで放送されます。
《鶴岡 新しい町をつくる ベンチャー起業家 山中大介》
 鶴岡市の水田の中に、今年新たに世界的建築家の坂茂設計によるホテルと子育て施設が誕生、大きな話題となっている。
 これをつくったのが、ベンチャー起業家の山中大介、32歳だ。山中は、鶴岡市が進めるサイエンスパークに新たな町をつくろうと、家族と共に移住。完全地域主導を掲げて人材を集め、地元の企業からも資金協力を募っている。
 山中の町づくりの挑戦を追った。
 放送は7日 夜 7時30分からNHK山形で。

・・・・・・・・・・・・

 こないだの日曜、報道写真家の石川文洋さんが東京を歩いた。
 文洋さんは7月に北海道の宗谷岬を出発し、沖縄まで徒歩での日本縦断の旅に出た。文洋さんは心臓が4割ほどしか機能していない。80歳という歳を考えると大丈夫かと心配だったが、福島など3.11の被災地も抜け、東日本を歩き終えた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20180716
 東京に着いた文洋さんを待っていたのは、一緒に東京を歩くために集まった高校の同級生や沖縄県人会の人、ファンなど十数人。いつもは一人で黙々と歩くのだが、この日は旧知の人たちと談笑しながらの和やかなウォーキングとなった。

 コースは、浅草の雷門からまず東京慰霊堂(墨田区横網町公園)へ。ここは関東大震災東京大空襲の犠牲者の遺骨16万3千体を安置している。文洋さんは5歳で沖縄を離れ、大空襲当時は千葉県にいて、東京の方向が夜明るく見えたという。文洋さんは歩きながら、戦争の記憶は、とにかくモノがなく腹をすかしていたことだと語る。

 次に向かったのは、文洋さんの母校、両国高校。文洋さんはこの定時制を出たのだが、同級生たち10人ほどがこの日、文洋さんを迎えて、定時制の同窓会「桂友会」の碑の除幕式を行った。定時制は10年以上前に閉校になったが、その歴史を忘れないようにと碑を建てたのだ。その場から昔の担任の先生に電話したり、和気あいあいのひと時だった。
 土地鑑のある下町を、文洋さんは懐かしそうにカメラのシャッターを押しながらあるき、午後4時半ごろ、日本橋に到着した。私もおよそ15キロをビデオを回しながら付いて行ったが、けっこう疲れた。 

 その後、東京駅八重洲地下街の「ライオン」で、ルポライター鎌田慧さん、漫画家の石坂啓さん(写真)も参加し、30人で文洋さんをねぎらってビールで乾杯した。文洋さんはこれから諏訪の自宅で休息をとり、お正月過ぎに東京から再び歩き出す。ごくろうさまでした。しばらくはゆっくりしてください。

 そうそう、実は真理子ママの家に行ったのがこの前日の土曜だった。真理子さんに「明日、石川文洋さんに会うんだよ」と言うと、「ああ、よく覚えてる、沖縄の人よね」と記憶は鮮明なようだ。そこで、「なつかしい。よろしく伝えて」との言葉を文洋さんに伝えると、サイゴンでもバンコクでも会っていたという。私と歩きながら昔話になって、真理子さんと仲の良かった日経の酒井記者が、引越し先のベッドの上でロケット弾の破片を受けて亡くなったことをきのう書いたが、文洋さんはその前の日の夜、酒井記者と呑んでいたという話を懐かしそうに語ってくれた。
 石川文洋さんは「再会が好きだ」という。戦乱のなか、再会を果たせなかった人がたくさんいたがゆえの言葉だろう。