ふり返ってのスクープ―足利事件1

takase222009-07-25

近所で見かける派手な花が気になっていた。これはパッション・フラワー、日本ではトケイソウ(時計草)と呼ばれる花で、ラテンアメリカ原産だという。最近はけっこう流行っているらしい。パッション・フルーツもこの仲間で、原産は亜熱帯のラテンアメリカ。そうと知ると、目元パッチリの妖艶なメスティーサに見えてくる。キリストの受難を表しているそうで、花言葉は「信仰」「聖なる愛」だという。
月刊誌『WILL』の8月号に歴史的な記事が載っていた。1996年の朝日新聞の『論座』からの再録だ。「右翼誌」が「左翼誌」から再録するというだけで、いわくつきの記事ではないかと期待がわく。
「13年前からわかっていたDNA鑑定の誤り 『足利事件 冤罪の構図』」という記事だ。足利事件とは、1990年、当時4歳の少女、真美ちゃんが誘拐・殺害され菅家(すがや)利和さんがDNA鑑定で実行犯とされた冤罪事件である。先月、菅家さんが釈放され、再審が認められ、大きなニュースになった、
読んで衝撃を受けた。今指摘されている捜査の杜撰さが、すでに13年前、ジャーナリストの日垣隆さんによって完膚なきまでに暴かれていたのだ。
菅家さんは、現場近くで起きた同様の事件、79年の万弥ちゃん殺害事件、84年の有美ちゃん殺害事件も「自供」し、三つの事件の犯人として起訴されたのだが、93年に二つの事件は不起訴になっていた。すでに「自供」の信頼性は崩壊してしていた。問題は、いわゆるDNA鑑定だけに絞られていた。
日垣さんは鑑定方法を精査した結果、こう論じていた。
《確率頻度など、「黒髪で団子鼻で二重まぶた」という程度の組み合わせ頻度と、まったく変わるところはない》
《現状は、ある染色体のごく一部の塩基配列のパターンを比較するにすぎず、あくまでDNA「型」鑑定でしかない。血液型鑑定を精緻化したにすぎない現状のDNA型鑑定に、ある人物が「犯人でない」ことを証明すること以上の役割を担わせるべきではないのである。しかも弁護側が事後検証をできず、警察だけが鑑定を独占するようなシステムは時代錯誤というべきであろう。個人特定が可能とされる指紋鑑定では12ヵ所の厳格な一致が必要なのであり、たとえば11ヵ所が一致しても他の1ヵ所が不明であれば「一致せず」と報告される。そのような厳格さは、現状のDNA型鑑定に欠如している》
さらに日垣さんは、《この足利事件には、DNA鑑定の威力を、マスコミを通じて大蔵省にも認知させるべく警察庁の大きな期待がかかっていた》、《警察庁がDNA鑑定機導入のために重ねる大蔵折衝が通るかどうかの、まさに瀬戸際であってみれば、12月1日付全国紙へのリークは実に大きな意味をもった》と指摘し、捜査が杜撰というより、むしろ政治的な誘導の可能性を示唆している。
日垣さんは、警察のリークに乗せられたマスコミの姿も描いていた。新聞各紙は「否認突き崩した科学の力」、「DNA鑑定切り札に」、「DNA鑑定が決め手」と打ち、朝日新聞も「スゴ腕DNA鑑定」と《DNA型鑑定》の無批判な絶賛の輪に加わっていた。この部分は『論座』編集部から削ってくれと要請されたそうだが、日垣さんはゆずらず、その結果掲載が2ヶ月遅れたという。朝日新聞の雑誌が、朝日をふくめ新聞すべてが間違っているとほぼ断定する記事を掲載したのである。この記事がいかに否定しがたい説得力を持っていたかを示している。
この記事が掲載された時点で、事件の結論はほぼ出たと言ってよいと思う。
これほど全面的にして深い取材が13年前になされていたことには驚き、また心から敬服するが、同時に、菅家さんの釈放までに時間がかかりすぎたことには義憤を禁じえない。
そして、日垣さんは、今回書き加えた論考でも、重要な指摘をしていた。
(つづく)