私たちは緑に支えられている

毎日暑い。ギリシャも暑いらしい。
取材班から、気温40度のアテネで撮影をして大変です、と報告があった。ごくろうさまです。
しばらくブログを更新せずにいたら、親しい友人から、「どうした、何かあったのか」と連絡があった。このかん、異様に忙しく、またトラブルがいろいろ出てきて、てんてこまいだっただけなのだが、心配してくれるとは、ありがたいことだ。

そのてんてこ舞いの最中、先週、山形の赤湯に住む叔母が亡くなったとの知らせがはいる。
転んで頭を打ったらしい。一番近くに住んでいた親戚だったので、子どものころ、とても可愛がってもらった。葬儀のため、日帰りで帰省。
近年、家族、親族が次々に亡くなっていく。近しいものの死が重なると、「やはり人は必ず死ぬのだな」と当たり前だが、だんだん死が自然なものに感じられてくる。
それでも自分だけはすぐに死ぬことはないだろう(いや、ひょっとしたら死なないんじゃないか)、などと思ってしまうのだから、人間はどこまで自分勝手なのか。

葬儀のあと、うちの菩提寺に寄る。
このブログではおなじみの「珍蔵時」。
山の緑のなかに建つ名刹で、初夏の緑が美しかった。

緑を見ていると、光合成というのは実にすばらしいシステムだと思う。太陽エネルギーを栄養に変え、酸素を排出してわれわれを含む動物を生かしている。
酸素(O2)の一部がオゾン(O3)に変化して成層圏にのぼり、生物にとって危険な紫外線をブロックしてくれ、そのおかげでわれわれの先祖の生物たちは海から陸地へと上がってこれたのだ。
緑が美しいと感じるのは、緑が命を支えてくれていることをDNAが知っているからではないか。
私を支えてくれる緑に囲まれている、そう思うと、安心する。
疲労困憊してくじけそうになっていた気持ちが、初夏のお寺参りでずいぶん癒された。