二人の「スパイ」の息子に会った日


【山崎ヴケリッチ洋さん:明大にて】
 土曜日の4日、明治大学で「尾崎秀実とゾルゲ事件」のシンポジウムに参加した。
 講演者をのぞいて74人の参加と盛会だった。
 なぜ、そんな古い事件がおもしろいんだよ、とよく聞かれる。戦前から戦後にかけての裏面史、とくに共産党がかかわる歴史には以前から関心がある。
 3年ほど前、「父はスパイではない!〜革命家・伊藤律の名誉回復」というちょっとマニアックな番組を取材・制作した。スパイとして除名され、中国で27年にわたって幽閉された日本共産党の元大幹部、伊藤律の足跡を息子の伊藤淳さんと辿りながら、スパイではなかったことに確信をもっていくという話である。取材のため、淳さんと一緒に、北京にあった日共「徳田機関」(北京機関)や伊藤律が入れられていた刑務所などを探して回った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E6%A9%9F%E9%96%A2
 伊藤淳さんもシンポに来ており、7月に講談社から『父・伊藤律〜ある家族の「戦後」』が出ると知らせてくれた。私が講談社を淳さんに紹介したことが形になったのでとてもうれしい。

 伊藤律本人だけでなく、その家族にも興味がある。律がスパイとして除名されたあと、妻のきみさんは「絶縁声明」を出し、夫を糾弾して党に忠誠を誓う。淳さんも共産党に入って活動してきた。この一家が、どんな思いで長い戦後を過ごしてきたのか。この本を読むのが楽しみだ。

 米国の機密指定解除資料や体制が崩壊した元共産圏からの新資料がぞくぞく出てきたこともあって、ここ10年くらいの戦後史研究の進展はめざましい。これまでの常識が吹っ飛んで仰天することが何度もあった。
 例えば、加藤哲郎ゾルゲ事件: 覆された神話 』(平凡社新書) はアメリカで発見された新資料でゾルゲ事件を見直したものだ。
 白鳥事件」も定説が覆された。1952年に札幌市で白鳥警部が何者かに銃殺され、共産党札幌地区委員長の村上国治氏が犯人の一人とされた。これを共産党や左派の人々は、共産党つぶしの冤罪事件だと村上氏の無実を訴え、それは国民のあいだにもかなり浸透していた。私も、戦後の占領下におけるアメリカ帝国主義による一連の謀略事件の一つと信じ、「赤旗まつり」かどこかで冤罪だと抗議署名した覚えがある。
 ところが実は、事件は起訴状通り、日本共産党による犯行で、党はひそかに指名手配犯3人を中国に密航させていた。関係者の多くは精神を病んだりアル中になったり悲惨な人生をたどることになる。2011年、新資料と関係者へのインタビューにもとづいてHBCがラジオのドキュメンタリー番組を制作した。題して「インターが聴こえない〜白鳥事件60年目の真実〜」。「インター」とは、起て飢えたる者よ、のあのインターナショナルである。
 こんな番組をよくも作ったものだ、と驚き、番組を聴いて心から感心した。すごい。
 今はもういない当事者の貴重なインタビュー、裁判所内で録音された村上氏有罪を告げる判決と抗議する村上氏の声、松本清張や当時読売新聞記者として取材にあたった佐野洋らの証言も出てくる。
 第37回放送文化基金賞ラジオ部門優秀賞、第48回ギャラクシー賞ラジオ部門大賞を受賞した名作である。いまYoutubeにあるので、関心のある方はぜひ聴いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=w6nf-zhYcr0

 戦後の諸事件の謀略イメージ形成にあたっては、松本清張の『日本の黒い霧』の絶大な影響がある。白鳥事件下山事件三鷹事件などとともに戦後の「黒い霧」としたが、これを見直すべしとの機運が出ている。
 『黒い霧』の中におさめられた「革命を売る男・伊藤律」の記述に伊藤律の息子の伊藤淳さんら遺族が抗議し、現在書店に並ぶ本には、事実上スパイ説を否定する注釈が入っている。松本清張は、共産党の秘密党員で、党の方針に沿った形で書いたとされるから、今後見直しは避けられない。
 伊藤律の番組を作ったさい、日本共産党中央委員会に対して、伊藤律の名誉回復を考えていないのかと質問状を出した。答えは見直さないというもの。まだまだ頭が固いな。

 さて、土曜のシンポに行った一番の目的は、山崎ヴケリッチ洋さんに会うことだった。
 ヴケリッチは、ゾルゲ事件でスパイ一味として逮捕されたユーゴスラビア人で、網走刑務所で獄死している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81
 日本人の妻、山崎淑子さんとの間の息子が、山崎洋さんだ。セルビアベオグラード在住で、たまたま帰国しているのだという。
お会いしたのは20年くらい前だった。

 ユーゴ紛争で、セルビアが一方的に悪玉にされて国際的な軍事攻撃と経済制裁を受けていたとき、山崎さんが、これはアメリカが恣意的な構図を作ろうとしている、騙されないようにと私たちに警告した。
 イスラム教徒をはじめ多くの市民を殺しているのはセルビア側だと報じられており、後に国際戦犯法廷ではセルビア側が集中的に裁かれた。山崎さんによれば、セルビア人民間人もたくさん殺されており、一方的な殺戮ではないという。ずっと後になって、『戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争』などの本が出て、米国の巨大PR会社が巧みな広報・ロビー活動で、セルビア=悪、ボスニア=善の構図に世界を染めたことが明らかになる。
 当たり前のように通用している情報を疑わなくては、と強く思わされた。世の中の見方を教えていただいた山崎さんには感謝している。
 明大の教室で、20年ぶりにお会いしご挨拶した。意気軒昂で、アメリカの一国支配と資本主義は長くないと言う。お元気で長生きしてください!