北大生のイスラム国行きの経緯について15日1時更新

takase222014-10-11

はじめにお知らせ。
今夜10時からNHKBS1「ドキュメンタリーWAVE」で弊社制作の番組が放送されます。いまアメリ中間選挙の争点になっている移民問題です。
「激増する不法入国の子供たち〜揺れ動く米国移民政策の陰で」
http://www.nhk.or.jp/documentary/
中米からメキシコを経由してアメリカに密入国しようとする子どもたちを追ったドキュメンタリー。不法入国ルート上には、マフィアや、コヨーテと呼ばれる密輸斡旋組織がうようよいて危険な取材だったようだ。
きのうは、朝からこの編集・MA作業に立ち会い。渋谷の編集スタジオで徹夜して今朝8時に帰宅した。それで、お知らせが遅くなってしまった。今夜見逃した人は、再放送(15日(水)17:00〜17:4)をご覧ください。

中米からの不法移民といえば、『闇の列車、光の旅』という映画がある。ギャング団から逃れようとするホンジュラスの若者が、ビーストと呼ばれる貨物列車の屋根にただ乗りして北へ向かう。途中で命を落とすことも多い、まさに命がけの旅。何が「不法」なのかを考えさせ、また最後までハラハラさせる良い映画で、お勧めです。
(写真はwww.theblaze.comから)
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アキバからシリアを結ぶ点と線
徴兵のルートの闇を垣間見る
朝日川柳の9日、10日に載っていた句だが、事件の事実経過や人間関係にはまだ胡散臭いものがあると世間では見られていることだろう。
以下、きのうのつづき。

《北大生のほかに千葉在住のフリーター(23)が応募しており、2人は8月に渡る予定で、北大生はイスラム国への加入条件であるイスラム教への入信と歴史上の数学者を模したとみられるイスラム名も得ていたという。
 ところがフリーターは家族の反対で断念し、北大生は壮行会でイスラム国入りを告白したところ、仲間からとがめられ、パスポートを盗まれたという。》(東スポ
コンビニでバイトしている千葉の青年は、常岡によれば、「ミリタリーオタク」で、武器などの知識が豊富で、本当の戦場で武器を扱ってみたいというのが動機らしいと言う。
出発予定の8月11日の朝、常岡は、二人とも行けなくなったとの知らせを受けた。
千葉の青年は、母親に知られて止められたという。北大生は、シリア行きを知って阻止しようとした友人に旅券を盗まれたという。
ちなみに、北大生はすぐに旅券盗難を警察に届けた。ここで警察は友人から北大生のシリア行きの情報を得たと思われる。
わざわざ警察に届けたのは、シリア行きを止めてほしかったのではないか、と常岡は言うが、真意は不明だ。

8月11日発の旅行の手配
中田(元教授)は、「イスラム国」のオマル司令官と連絡の上で、8月初旬、日時とトルコまでの便名を決め、常岡に航空券の予約・購入を依頼した。
常岡はいつものようにネットで航空便の予約をし、クレジット・カードで3人分の航空券をまとめて買う手続きをした。
常岡は、北大生と千葉の青年から、その日のうちに航空券の代金を受け取っているから、3人はそれぞれ自分の航空券分を支払ったわけだが、この常岡の航空券を立て替え払いした行為は「便宜供与」とみなされて警察に突っ込まれるポイントの一つになるかもしれない。
なお、北大生は、渡航費用を「大司教」から借りたと報じられる。
古書店の関係者の男性が警視庁の任意の事情聴取に対し、『自分が貼り紙をした』『大学生に渡航費用として十数万円を貸した』と話していることが分かりました。》
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2319098.html

では、北大生にとっては2回目となる、10月7日出発予定のイスラム国行き計画はどう進められたか。

《その後、北大生から音沙汰はなかったが、常岡氏がイスラム国に拘束された湯川遥菜氏(42)の取材等でシリアへ出掛けることを知った元教授は今月4日に再び北大生の同行取の材を要請。常岡氏と北大生は7日に日本をたち、トルコへ渡る計画だったが、6日の警察の家宅捜索で北大生のパスポートは押収された。
今月4日夜に、元大学教授と北大生が常岡さんの自宅を訪問。常岡さんは7日にシリア取材に行く予定だったが、北大生も同日出発することを告げたため、宿泊予定だったトルコのイスタンブールのホテルを教えたという。》(東スポ

8月の青年たちのイスラム国行きがキャンセルとなったあと、湯川遥菜さんがイスラム国に拘束される事件が起きる。
その湯川さんの通訳として、中田に「イスラム国」に来てほしいという要請がイスラム国のオマル司令官から届く。常岡が取材で一緒に行くことも認められ、二人は9月上旬にトルコからシリア領内のイスラム国支配地に入った。
これについては、先月すでに書いた。

このとき湯川さんに接触できずに帰国した常岡は、再び10月にイスラム国行きを狙う。求められれば、湯川さんの通訳を自分がつとめ、可能なら救出したいと考えた。他にもいくつかイスラム国に関して構想してきた取材項目があり、今回はかなり長めに滞在したいと思っていた。
取材用のビデオカメラを新しく買い、10月7日のトルコ行きの航空券を購入した。
そこに、中田から、北大生の同行取材を再び依頼された。8月にいったんキャンセルになったイスラム国行きだったが、やはり行きたいと言っているという。
常岡は了承した。

北大生は、常岡とは別の航空会社の便を自分で購入し、常岡は予約したイスタンブールのホテルの電話番号を北大生に知らせた。つまり、別々の飛行機で出発し、トルコのホテルで会うことになる。

ここでイスラム国との橋渡しをした中田考について説明しておこう。
常岡は10年前、モスクワで中田と知り合った。
中田はカリフ制の信奉者で、自分の会社の名前を「カリフメディアミクス」と名づけるほど。常岡は中田に誘われて、インドネシア原理主義ムスリム集団を訪ねた後、2009年には二人でアフガンを訪れている。ちなみに私が常岡の紹介で中田と知り合ったのもこの時期だった。
内戦中のアフガンにあって、中田は、専門のイスラム法談義を通じて、タリバンを含む各派と付き合いができる稀な人物となった。この人脈をもとに、中田らは、2012年、アフガン政府とタリバンの幹部が日本で会うという機会を作ることに成功した。
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科主催の「アフガンの和解と平和構築の国際会議」である。これは日本のメディアでは全く注目されなかったが、日本がアフガン和平に貢献しうるチャンスを提供した貴重な企てだったと私は思う。
テレビで風貌を見て「怪しい人だな」と思った人は多いと思う。実際、中田のツイッタ−からもかなりの奇人ぶりが垣間見える。http://twilog.org/HASSANKONAKATA
ただ、研究者としては高く評価されており、今年の『日亜対訳クルアーン』(作品社 2014)の出版は学会でも注目される業績だという。

中田は、常岡が同行取材することになった経緯をこう言っている。
「ISによる湯川さんの裁判の通訳がほしい、とISに言われたので、常岡さんを勧めました。そこで北大生を一緒に連れて行ってもらうように頼んだ。
 常岡さんは北大生を連れていくことに乗り気ではありませんでした。私が無理やり頼み込んだので、断れなかったんです。そういう意味では考えて世話をしたわけです」
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/180682

一方、常岡はツイッタ−でこう書く。
ハサン先生に強く頼まれたのは事実ですが、密着取材はぼくの意思で、また引率するつもりは全くありませんでした。ぼくはハサン先生と違って、あの手合いに何の共感もない」

北大生を誘い、渡航費を貸したとされる「大司教」は・・・
私に利用された中田先生は本当に可哀想だし、無関係なのにトバッチリで実害まで出てしまった常岡さんには本当に申し訳ない。すべて私の責任です。これから皆さんは、大司教でなく傭兵隊長と私のことをお呼びください。」
http://twitter.com/Im_Weltkriege/status/520424071054389248

(つづく)