田丸美寿々さん報道特集降板

takase222010-09-25

きょうのTBS報道特集は、田丸美寿々キャスターの最後の放送だった。
夜、報道特集のスタッフが企画した「田丸美寿々さんと語るパーティ」があって参加した。
その招待状には《およそ16年にわたって「報道特集」のキャスターを務めていただいた田丸美寿々さんが、9月25日の放送を持ちまして、TBSの判断でその任を離れることになりました》と書いてある。
(すみませんが、きのうの「つづき」はまたにして、きょうはそのパーティの話を書きます)
美寿々さんとは、もう24年のお付き合いになる。
あれは1986年、フィリピンの2月革命の直後、美寿々さん(当時は別の姓だったが)はマニラに乗り込んできた。就任直後のアキノ大統領にインタビューしようというのだった。現在のアキノ大統領のお母さんである。当時、私はある通信社のマニラ特派員で、美寿々さんのインタビューのアテンドと撮影の手配を依頼されていた。
アキノ大統領はまだ日本のメディアに出ておらず、どこが一番乗りするかの競争だった。日本どころか、地元フィリピンやアメリカの取材にも、まだほとんど応じていなかったはずだ。美寿々さんは日本大使館の強いバックアップもあって、2日ほどたって、ついにインタビューに成功した。
そのときの美寿々さんへの私の印象は、「こんな生意気な女とは、二度と仕事をしたくない!」というものだった。不愉快なので、できるだけ食事も一緒に取らないようにしたほどだ。
その後、美寿々さんとは、いくつかの番組でお付き合いし、次第に日本を代表する報道キャスターだと思うようになった。人格的にもかなり丸くなったと思う。
きょうは盛大な会で、150人は来ていただろう。現場の若いスタッフや我々制作会社からの参加が多かった。
記念のプレゼントを渡す役目は、古参の編集マンと総務の女性だったが、こういうのも珍しい。普通は局のエライさんなのだが。プレゼント贈呈で、その二人は涙ぐんで声をつまらせていた。
「美寿々さんほど、スタッフを大事にするキャスターはいない」という発言があったが、なるほどと納得した。
写真は、ケーキを前に喜ぶ美寿々さん。
力の入ったVTRが二本、赤ちゃんのころの写真から現在までの美寿々さんの歩みと、全国からの美寿々さんへのメッセージが上映された。それで、これまで番組で最もたくさんVTRに登場した人が、特定失踪者問題調査会の荒木代表だったことを知った。一時期、報道特集北朝鮮関係の特集のレベルが高く、うーん、これはすごいな、と思わせる特集が何本もあった。主に取材していたのは吉田豊さんだ。
アジアプレスの石丸次郎さんも、報道特集によく取材成果を出していた。私が美寿々さん降板をツイッターで書くと、石丸さん「報道特集は、民放ジャーナリズムの宝。田丸さんの貢献大。信頼の看板失うたなあ」とツイート。
麻木久仁子さんからは「田丸姉さん!心から尊敬していると。どうか、お伝えください!闘いの日々!お疲れさまでしたと」とのメッセージが送られてきた。
充電してまた元気な姿を見せてほしい。