安田純平さんの救出がどのように実現したのか。その事情は今後明らかになっていくだろう。彼の友人たちを中心に手弁当で奔走した人々がいた一方で、日本政府は最後まで救出に消極的だったように私には見える。
かつて、安田さんと同じフリーランスのカメラマンがフィリピンの反政府武装勢力に拘束され、日本政府が全く動かないなか、純然たる民間の努力で救出された興味深いケースがある。
まずは、拘束されていた石川重弘さんが帰国しての記者会見の動画(3分ほど)を観ていただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=YB8z2GuQge8
会見で解放を祝し、涙にくれる石川さんと母親の肩を抱いて「親孝行しなさいよ」と声をかけるのは、右翼の大物、笹川良一氏。(写真右)
そして、石川さんの口から救出に尽力してくれた恩人として名前が挙げられたのは、笹川氏の他、元三代目山口組直系組長の黒澤明氏、民族派右翼の野村秋介氏、「石川重弘君を救う会会長」は人権弁護士で山口組の代理人でもあった遠藤誠氏。いったいどんな救出劇だったのか・・・
事件のあらましはこうだ。
1985年1月、カメラマンの石川重弘さんがゲリラの撮影のため、フィリピンのホロ島に向かったところ、イスラム系反政府ゲリラ「モロ民族解放戦線」(MNLF)に拘束された。同行した現地ガイド2名は、MNLPにスパイと見なされ射殺された。
MNLFは身代金約7000万円と重火器を要求。日本政府はこれに全く対応できず、外務省は石川さんの家族に「死んだと思われたし」と通知したという。(なお、当時の外相は安倍首相の父親、安倍晋太郎氏だった。)
そのころ、ヤクザから足を洗った黒澤明氏がフィリピンを訪れた。山口組・一和会分裂を気に黒澤組を解散し引退した彼は、旧知のマニラ在住の貿易商、ヒロ山口から事件と日本政府が放置していることを聞いた。即座に救出を決意した黒澤氏は、野村秋介氏、遠藤誠氏らの協力を得て、救う会を作った。
MNLF側の要求は、現金約7000万円と武器だったが、ヒロ山口のムスリムコネクションで直接交渉した結果、3000万円分の医療物資支援という条件で妥結し、石川さんは1年2か月ぶりに解放された。3000万円を工面したのは、山口組四代目直系組頭の後藤忠政氏とされている。黒澤氏や野村氏は表に立ちたくないと、日本船舶振興会の笹川良一会長が会見で挨拶することになったという。
日本政府は当時からフリーのカメラマンなどを保護することに熱心ではなかったようだ。そこで、右翼人士とヤクザを中心とする民間のグループが、一肌脱いで、政府とは全く関わりなく救出することに成功したのである。
いま安田純平さんをバッシングしているのは主に右翼系の(とくにネトウヨと言われる)人々だが、かつての右翼は、困難にある同胞を放ってはいけない、政府がやらないならオレがやると行動を起こしていた。
実は私はこの事件にはちょっと因縁がある。石川さん解放のとき、フィリピンにおり、交渉に動いた人たちも知っていた。そういえば、安田さんと似たケースだったなと思い出し、いろいろ考えさせられている。