満員電車にて

おいおい、民主党政権、大丈夫かい、という雰囲気になってきた。
「新成長戦略」は「環境・エネルギー、健康、アジア、観光・地域活性化、科学・技術、雇用・人材」と、キーワードは出揃っている感じだが、実際にはどうしようというのか。日本の根本的な建て直しが必要だから政権交代させたのだが、建て直しのビジョンが明らかでない。「明らかでない」というより、ビジョンが「ない」のではないかと心配になる。
今年のブログでは、日本の目指すべき方向、ビジョンを一つの柱にして書いていきたい。
さて、年末年始休みも明けて、通勤で満員電車に乗る日々がはじまった。
駅に着くたび、降りる人たちが、後ろからぐいぐい押してくる。ホームに出るまで、ずっと無言で押しまくる。押されたほうは、お互い様のはずなのに、不快な顔で迷惑そうにしている。これは以前からとても気になっている。気味が悪い。
ひとこと、「降ります」とか「ちょっと、ごめんなさい」と声をかければ、気持ちよくスペースが空くのに・・・。
また、腰の曲がったお年寄りがすぐ前に立っているのに、頑丈な体の青年が座席にふんぞりかえって漫画を読んでいたりする。
私が長く滞在していたタイでは、まったく違う光景を見る。
バスに高齢者や妊婦などが乗ってきたら、若者はほぼ自動的に席を立ってゆずる。あるとき、バンコクのバスに乗っていたら、横から手が伸びて私のバッグを取っていくではないか。「泥棒か」と思ったら、そばに座っているおばさんだった。私のバッグを膝の上に置いてニコニコしている。重そうだからと助けてくれたのだ。こういう善意はうれしいし、自分も次には別の人に親切にしようと思う。
南アフリカを取材した同僚によると、黒人居住地から都会への通勤電車は歌声で満ちるそうだ。満員電車の中で、みな手を打ち、足を鳴らして、思い切り声を張り上げ合唱していくという。これは極端かもしれないが、他の社会に比べて、日本の満員電車が、人と人との間の温度が低いことは間違いない。
日本では、近所に住む人がどんな人か知らない。知った顔に会っても挨拶をしない。日本人は、ことさらに、他人との接触を避けているかのようだ。
日本を建て直すというとき、(地域)「コミュニティを活性化する」などという課題が挙げられる。それは素晴らしいし、必須だと思うのだが、いま一つイメージがわかない。今の日本の寒々しい人間関係を前提に「コミュニティ」を語れるのかと疑問になるからだ。
こうなってしまった原因は何か、と最近よく考える。
(つづく)