勉強するのはなぜか?
これを子どもが納得するには、「自分のため」だという理屈が必要なのだろう。
〈あのね、勉強するのはお前のためでもあるんだよ〉
「学校に行かなくても生きて行けるでしょ?」
〈自分の将来像がはっきりしてればいいよ。浅田真央ちゃんみたいにスケート専門でやっていくとか、石川遼くんのようにゴルフのプロになろうとか、そういう人は早いうちから特殊な道に進んでいくけど、お前はやりたいことが決まっているのか?〉
「何になりたいか、分からない」
〈だったら、なるべく、将来の可能性を広くしておいた方がいいだろ〉
「勉強と将来とどう関係するの」
〈学校に行ってないとなれない職業がたくさんあるんだよ。学校の先生になりたい、弁護士になりたいといっても、普通は大学に行って資格を取らないとなれないよ。それが現実なんだ。行ける条件があるのなら、学校に行ったほうが可能性が広がっていいだろ〉
「学校に行かないでできる仕事もたくさんあるよ」
〈だけどお前はまだ何になるか決めてないんだろ。だったら、可能性の多い道を選んだほうがいいんじゃないか〉
「フリーターでレストランの皿洗いをずうっとやっていっても食べていけるでしょ」
〈それで満足という人がいてもいいけど、普通はシェフになりたくて修行し勉強するわけだ。シェフになれば、自分で決められる範囲が広がるだろ。砂糖はこのくらい使おうとか、小麦粉はどこの産地のものにしようとか。自由が大きいほど、責任も持たされるよね。それって『やりがい』に通じるんじゃないかな。それに、皿洗いの人は別の人と取り替えられるけど、シェフは簡単に替えられない。逆に、腕さえよければ自分の望む職場を選ぶこともできる。だから、暮らしも安定しやすい〉
私はさらに畳み込む。
〈学校に行くっていうことは、そういうやりがいのある仕事につくチャンスを大きくすることなんだよ〉
あまり安定していない仕事をしている私が、こんな説教をしても説得力はないかも。しかし、これも子どもによかれと思う親心である。