核抑止論と都市攻撃2

 ウクライナは連日、開戦以来最大規模の都市攻撃を受けている。

 6月1日から2日にかけて、ロシアはウクライナ各地に対してドローン約656機ミサイル73発を発射し、多数の死傷者が出ている。ロシアは相変わらず、住宅、学校、病院、エネルギー施設といった民生に不可欠な施設を狙っている。

ロシアによるキーウへの夜間爆撃(ロイターより)

 19世紀までの戦争では、主な戦場は前線であり、戦うのは兵士という考え方が一般的だった。都市の包囲や略奪はあったものの、一般市民は原則として戦闘の主体ではなかった。

 しかし20世紀に入ると「総力戦」の時代が到来する。国民国家の形成と徴兵制の普及によって、軍隊は「王の軍隊」から「国民の軍隊」へと変化した。戦争は軍隊だけでなく、産業、教育、報道、文化、学術など社会全体を動員する国家的事業となり、市民もまた戦争遂行を支える存在とみなされるようになった。

 都市爆撃は、この総力戦の発想から生まれた。敵軍だけでなく、それを支える工場、交通網、行政機構、さらには国民の士気そのものが攻撃対象となったのである。こうして戦場は前線から都市へと拡大した。「前線と銃後の区別」がなくなったのである。

 20世紀の都市爆撃は、単なる軍事技術の発達の結果ではない。国家と社会のあらゆる資源を戦争に動員する総力戦思想が生み出した、最も象徴的な現象の一つだったのである。・・・・・

 国際人道法によれば、軍事目標と民間人・民間施設は区別されなければならず、民間人の被害は最小限に抑えなければならない。しかし現実には、第2次世界大戦以降、都市そのものを攻撃対象とする爆撃が繰り返されてきた。

 広島、長崎への原爆投下も、日本各地に対するB29爆撃の延長線上に位置づけることができる。1945年3月10日の東京大空襲では一夜にして約10万人が死亡したとされ、その犠牲者数は広島原爆による年末までの死者数(約14万人)、長崎原爆による死者数(約7万4千人)に匹敵する。

 都市爆撃の発想は、軍事施設だけでなく都市全体を破壊し、多数の民間人を犠牲にすることで相手国の抵抗意志をくじこうとするものである。そして核抑止もまた、その延長線上に成り立っている。核兵器による報復が恐れられるのは、被害があまりにも甚大だからである。そこでは都市の壊滅、大量の市民の殺戮、さらには放射能による長期的な苦痛までもが前提とされている。

 政治家はしばしば「核抑止」を安全保障の現実として語る。しかしその抑止力は、広島や長崎が示したような破滅的被害への恐怖によって支えられている。この点を考えるならば、重田園江明大教授の次の指摘は重い意味を持つ。

日本は米国の『核の傘』に入っていることになっている。とりわけ2010年に『日米拡大抑止構想』(EDD)が始まってからは、日本への拡大抑止と防衛力増強がセットで議論されてきた。核を中心に据えたこうした議論では、つねに都市への爆撃と犠牲が念頭に置かれている。

 人類史上初の戦争被爆国である日本が、その最後の実例となるように。この願いを否定する人はいないだろう。だとすれば、都市が人質になることを当然の前提とする核抑止論の戦争観自体が、根本から見直されるべきなのだ。」(朝日新聞5月21日政治季評より引用)
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注)日米拡大抑止構想(EDD=Extended Deterrence Dialogue)とは、米国の核戦力を含む抑止戦略について日米両政府が協議する制度である。2010年の発足以降、日本は米国の「核の傘」に守られるだけでなく、その運用や考え方を共有する立場へと踏み込んだ。