
「核抑止」という言葉を聞く機会が増えている。
北朝鮮が核・ミサイル開発に固執する背景には、核保有国になれば米国から軍事攻撃を受けにくくなるという認識があるとされる。また、かつて世界第3位規模の核戦力を保有していたウクライナ(戦略核1,700発以上、戦術核も含め数千発)が核を放棄した後にロシアの侵攻を受けたことを引き合いに、核抑止の有効性を主張する意見もある。
そこから核抑止の有効性を強調し、日本も核武装を選択肢として議論すべきだとの声が、近年強まっている。
重田園江・明大教授(現代思想・政治思想史)によれば、核抑止論は、冷戦期に核保有の正当化のために唱えられた、ある種の平和を目指す議論だという。核を持たない国は恐怖から核を持つ国を攻撃できないという、米国の傲慢として始まった。ところがソ連が核開発に成功すると、米ソが大量殺戮可能な核を保有することでむしろ全面核戦争は起こらないという「確証破壊戦略」理論へと変わっていった。
実は核抑止にほんとうに実効性があるかは疑問のままである。
そもそも広島と長崎への原爆投下が日本の降伏を招いたという米国公認の歴史認識自体が疑問視されており、近年ではソ連参戦がより決定的だったとの見方が現代史研究者の間では主流になっている。
8月6日の広島への原爆投下後も、日本政府はなおソ連仲介に期待していたが、9日のソ連参戦で最高指導部は緊急会議を開き、終戦問題を本格的に議論し始めた。ソ連が樺太、千島から北海道まで攻め込む態勢だったことから、ドイツのような分割占領の可能性があり、国体(天皇制)の維持どころか国家存続そのものが脅威にさらされたからである。
戦後においても、ベトナム戦争では米国の核による脅しは効果がなく、ウクライナでもロシアの核威嚇はウクライナ国民の抵抗意欲を全く削いでいない。
冷戦が熱い戦争に至らなかったのは核のおかげだとする説があるが、核抑止は、核が用いられない限り有効だと主張できる。核戦争が起きなかった理由は他にいくらでもあるのに全ては核抑止のおかげだというのは奇妙な理屈だ。
重田氏は、核抑止論は都市爆撃という軍事戦略の延長線上に位置づけられるという。
ウクライナでは連日ロシアによる都市爆撃が続く。国際人道法によれば、民間施設への攻撃は違法で、民間人の被害は最小限におさえねばならない。ところが第二次大戦以来、都市爆撃は常態化した。東京大空襲をはじめ日本の諸都市へのB29による爆撃、そしてその先にヒロシマ・ナガサキがある。
都市爆撃自体は第一次大戦から始まってはいたが、本格化するのはその後である。
日本軍が無差別な都市爆撃に早くから手を染めていたことも忘れてはならない。日本は中国・錦州爆撃(1931年)、上海爆撃(1932年)、重慶爆撃(1938~41年)など中国で長期にわたり戦略的な都市爆撃を行ってきた。欧州ではピカソが描いた独伊軍によるスペインのゲルニカ空襲(1937年)、ナチスによるロンドン空襲、それへの報復としての英米軍によるドイツ諸都市(とくにドレスデン)への容赦ない爆撃が知られている。
戦争における航空機爆撃の重要性を最初に強調したのは、イタリアの軍人ジュリオ・ドゥーエだという。彼は第一次大戦での塹壕戦の悲惨さを目の当たりにし、『制空』(1921年)において、地上の前線のはるか先にある敵国都市を攻撃するという、新たな軍事論を展開した。
ドゥーエは、爆撃による都市破壊には、犠牲の巨大さによって敵の士気を弱め、心理的打撃を与えるという大きな利点があると考えた。多くの人が住み、社会的拠点となっていること自体、爆撃の理由となる。これが「戦略爆撃」という考えの始まりだったという。(参照・引用は朝日新聞「政治季評」重田園江「核抑止論のグロテスクさ」5月21日より)
(つづく)