ベトナム戦争終結から半世紀

 1975年4月30日、サイゴンが陥落し、米軍が追い出されてベトナム戦争が終わった。あれから半世紀か・・・とても感慨深い。

 青春期、ベトナム戦争はずっと私につきまとった。

 ベトナムに魅せられ、もっと知ろうと、大学院に進んで「ベトナム法」などという絶対に就職できない学問を専攻してしまう。ベトナム語を学ぶため、東京外語大に通った。当時は先生も学生も大らかで、正規の手続きを取っていない私を授業に混ぜてくれ、プリントなどの教材も配布してくれた。私はお金を払わず無料で受講したのである。学生とコンパで酒を飲み、一緒にベトナムまで行った。その果てに、どこにも就職できずにいた私は、ベトナム報道で知られた「日本電波ニュース社」に拾ってもらって現在にいたるわけで、ベトナム戦争で人生を変えられたと言っていいだろう。

 以下、読売新聞の記事

 「ベトナム戦争終結から30日で50年となり、南ベトナムの首都サイゴンだったホーチミンで大規模な式典が開かれた。軍のパレードも行われ、国営メディアなどによると、1万3000人が参加した。中国とラオスカンボジアの軍部隊も含まれるという。

軍事パレード

 ベトナム戦争は、東西冷戦下で社会主義陣営の北ベトナム南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)と、米国が支援する南ベトナムが戦った。米軍は1965年に北ベトナムへの大規模爆撃作戦「北爆」を開始し、本格的に戦争に突入したが、激しい抵抗に遭い、73年に撤退。北ベトナムは75年4月30日、サイゴンを陥落させ、戦争は終結した。

 戦争では南北合わせて約300万人が犠牲になり、米軍側も約5万8000人が死亡したとされる。街中ではこの日、国旗の柄のシャツなどを身に着けた人も多く、祝賀ムードに包まれた。【読売新聞 ホーチミン=竹内駿平】」

 しかし、戦争の傷は、今も癒えていない。

兄と分け合った脚と松葉づえで歩くドクさん(28日、ホーチミンで)=竹内駿平撮影、読売新聞)

 「「自分は戦争を経験していない。でも、当事者だ」

 戦争で米軍が散布した枯れ葉剤の影響とされる結合双生児「ベトちゃん、ドクちゃん」の弟グエン・ドクさん(44)は28日、ホーチミン市内の自宅でこう語った。

 7歳の時に受けた分離手術で、下半身が結合していた兄と脚と腎臓を分け合った。右脚と2本の松葉づえで歩き、三輪バイクで15歳になる双子の子供の送り迎えもこなす。ただ、腫瘍などの手術を繰り返し、「この先もう長くないかもしれない」とも感じている。

 それでも、各地で戦争被害を伝える講演活動を続ける。今年2月には、自らの半生を描いたドキュメンタリー映画ベトナムで公開された。タイトルは「ベトのために」だ。

 2007年に26歳で人生を終えた兄のためにも、「戦争の当事者として、今も続く戦争の理不尽な被害を伝え、平和を訴えていくことが自分の使命だ」と信じている。」(読売新聞)

 「日本電波ニュース社」に入社して間もなく、ベトちゃんドクちゃんの分離手術を先輩たちが取材してテレビ番組にしたのを記憶している。ドクさんも44歳か。

 28日(月)のNHK「国際報道2025」では、ベトナム戦争とジャーナリズムについて特集していた。

 ピュリッツアー賞に輝いた澤田教一の「自由への逃避」の被写体だった女の子は孫がいるおばあさんになっていた。

自由への逃避

 「あの写真はベトナムの痛み、戦争の苦しみを世界に知らしめた。子どもや孫が平和に暮らせることを願っています。過去を繰り返さないでほしい。」とグエン・ティ・キム・リエンさんはしみじみ語っていた。

この子が私、と指をさすリエンさん(国際報道)

 

孫とリエンさん


 ウクライナ戦争がベトナム戦争と同じく、侵略者を追い出す形で終わってほしいと強く願う。戦争よなくなれ。