中村哲医師の宗教観「白い峰を共に仰ぐ」

 お知らせです。

 「中村医師が命がけで私たちに教えてくれたこと―平和そして人の道」を東京・小金井市の市民講座で2回にわたりお話します。7月8日、15日(土)14-16時で、ご関心ある方はお問い合わせください。

 小金井市在住、在勤、在学でなくとも定員まで余裕があれば受けつけるそうです。

 

 半月ほど前、テレビのチャンネルをザッピングしていたら、たまたまNHKは「みんなのうた」をやっていた。この番組を観ることはないのだが、そのとき「遠い世界に」をカバーする野太い歌声が流れてきた。男か女かも分からないが迫力ある歌いっぷりが気になり、後で調べたら、伊東妙子というシンガーで、T字路sというユニットで歌っているという。

https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=T%e5%ad%97%e8%b7%afs&&mid=2334989A55C597715C0F2334989A55C597715C0F&&FORM=VRDGAR


 動画を観たら楽しそうで、ライブに行ってみたくなった。世の中の閉塞感にちょっと風穴を開けてくれそうな歌声だ。気に入ってこのユニットの曲を毎日聴いている。
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 入管に収容された外国人を支援してきた医師、山村淳平さんが『入管解体新書 外国人収容所、その闇の奥』(現代人文社)という本を出した。

 山村さんは、横浜の診療所につとめながら、難民申請者やオーバーステイの外国人らの医療相談に応じるだけでなく、入管の収容施設にいる外国人たちに面会し、病状を聞いてきた。

 山村さんは朝日新聞の取材に「入管職員が患者の訴えを聞かず仮病と決めつけ、死亡したり病状が悪化したりする例が多い」と語る1993年から昨年までに全国の収容所で亡くなった外国人は、スリランカのウィシュマ・サンダマリさん(当時33)を含め26人。朝日新聞4日付)

 いま参議院で審議中の入管法改正案では難民認定の申請中でも送還できるようになるが、山村さんはこれまで強制送還された人たち25人をベトナムやフィリピンなど5カ国に訪れたという。

 スリランカ人で、送還後に本国で刑務所に入れられた人もいた。また、何も知らされずに5歳の息子と引き離されたベトナム人も。山村さんの患者で、強制送還中に亡くなったガーナ人もいたという。山村さんは「改正案は、帰国すれば迫害される人や日本に家族がいて帰国できない人たちを追い込むものだ」と批判する。

 与党側は7日(水)の参院本会議で入管法改正案を成立させる構えだ。これに断固反対し、改正案は廃案にせよと訴えたい。

「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である」
The ultimate tragedy is not the oppression and cruelty by the bad people but the silence over that by the good people.―キング牧師
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 前回まで紹介してきた中村哲さんのロングインタビュー

 質問14や16への答えに、中村哲さんの座右の銘「一遇を照らす」を思い浮かべる人も多いことだろう。

takase.hatenablog.jp


 「一遇を照らす」は平安仏教の天台宗をひらいた最澄の言葉だそうだ。キリスト教徒の中村さんが、仏僧の言葉を座右の銘とし、「ご縁」を尊ぶことをすすめ、アフガニスタン現地にモスクを建ててしまう。中村さんの信仰は非常に開かれたものだった。

 私の勝手な解釈かもしれないが、彼の開かれた信仰心には、昔の日本人の宗教観が表出していると思う。

 日本人のコスモロジーは長く、神仏儒習合、つまり神道も仏教も儒教道教)も合わせ含めて信仰するというものだったと考えられる。明治生まれまでの日本人においては、神も仏も祖霊(ご先祖様)も天地自然もほぼ同義語で、それらみなを崇拝することに矛盾を感じていなかった。

 ウソをつけば閻魔さまに舌を抜かれる、悪事の代償は地獄行き、神様のバチがあたる、不祥事を起こすとご先祖様に申し訳ない、お天道さまはお見通しだぞ、天の道、人の道にはずれることはするな・・・映画『男はつらいよ』でおなじみのセリフは、懐かしい日本人の倫理感であり、子どもはこれでしつけられてきた。

何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる

 西行法師が伊勢神宮で詠んだ歌とされるが、どんな神あるいは仏がおわすかは分からないけれども、「かたじけなさ」に打ち震えるという意味で、何がおわすかはどうでもいいのである。

 また、こんな歌もある。

分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな

 山に登っていく道はいろいろあっても、頂上に立てば同じ月を仰ぐ。つまりさまざまな宗教、思想は結局すべて同じ真理にたどりつくのだから、争う必要はない。これは日本人のすでに無意識となった常識である。

 一神教の立場からすると、「なんといいかげんな!」と呆れられるだろうが、どちらが良い、悪いという話ではない。

 中村哲さんは、ペシャワール赴任からさほど時間がたたない1987年、同僚のアクバル医師とのこんなエピソードを書いている。

 アフガン人のアクバル医師が、キリスト教団体から派遣されてきた中村さんに探りを入れるようにこう尋ねてきた。

 「先生は日本に居ればそう苦労もないものを、何を好んでこんなところで働いているのですか。」

 「ドクター、これは単にアッラー(神)の配慮にすぎない。偶然とよぶならそれでもよい。(略)確かに我々はこの困難の前には虫けらだ。巨象を相手に這いずり回る蟻にすぎない。しかし、どんなに世界が荒れすさんでも、人の忘れてならぬものがある。そのささやかな灯りになることだ。自分は決して善良な人間ではないが、これもアッラーの御心ならば仕方がないではないか。これは我々のジハード(聖戦)なのだ。」

 「それはインサアニヤット(人間性)のためではないのですか。」

 「君がアッラーという言葉が嫌ならそう呼んでもいい。中身が同じならたいして変わらぬ。人間の言葉は余りに貧弱だ。」

 (略)日本人は一般に神学的な議論は苦手で、結局何のことか本当には解らないものである。私は面倒になって言った。

 「私に見えるヒンドゥクッシュの白峰の頂は、どんな言葉、どんな人が述べても同じ美しい頂である。共にそれを仰ぐことが出来れば、他に理窟は要らぬ。」

 どういうことか、その言葉がいたく彼の気にいった。その後、彼は党派・信条を超えていろんな良い人材をかき集めてきたが、常に口にするのが、この「ヒンドゥクッシュの白い峰」の話であった。こうして、アクバル医師は私の仕事の上で分身となり、時には慎重に、時には獰猛に、中世的な忠誠心で無私になって活動した。(1987年10月20日ペシャワール会報、後に『パシャワールにて』に所収、P118-119)

 中村さんの遺した膨大な文章のところどころに宗教観が現れるが、いずれも私の解釈では、日本伝統のそれを引きついでいるように思われる。

 

 私自身は、おそらく狂信性とは反対の極にある人間だった。皆が熱狂し始めると急速に覚めてくるし、皆がそう信じていると懐疑を投げかけたくなるという、どうしようもない天の邪鬼なのである。一方私は宗教に対しては典型的な日本人らしく八方美人であり、抽象的な観念の真偽をめぐって死闘を演ずるほどに傾ける情熱が、どうしても起こらないのである。(『ダラエヌールへの道』P242)

 

 帰国したときに野山を歩くと、少なからず野仏地蔵に遭遇する。水子地蔵というのもある。だれがするのか、いつもこざっぱり掃除してあり、花が絶えない。水子地蔵に参る者は、何らかの心の傷を、祈りに浄化させているのだろう。死んだ母は無神論者だったが、仏壇に朝夕二回の御斎(おとき)を欠かすことがなかった。私はここに外皮を超えた人の一致点を見る。(『辺境で診る 辺境から見る』P147)

中村さん手書きの用水路建設のための地図(竹中工務店A4の展示を筆者撮影)


 そして中村哲さんは、「古き良き日本人」でもあった。
(つづく)