兵役逃れのロシア人を「難民」と見る

 故郷の山形県を自転車で回る旅から帰りました。

山形県高畠駅前にて。ウクライナ国旗をあしらったTシャツで出発。旅の前半は連日最高気温27~28℃まで上がってT シャツでも汗だくになった。

 ブログが更新されないので心配しているとの連絡もいただき、ありがとうございました。おかげさまで無事帰ってきました。

 新潟との県境の小国町から米沢市山形市新庄市を経て庄内地方酒田市鶴岡市まで9月23日から10月9日まで17日間にわたる長旅で、自転車の走行距離は約555キロ。その行路の多くは黄金の実る小金の田園で、たくさんの出会いのあるすばらしい旅でした。

後半は急に冷えて、10月6日に月山八合目の弥陀ヶ原に行ったときは4℃。ガスがかかって幻想的な風景だった。

死期が近いトンボが体に止まってくる。秋を実感する。

ちょうど稲刈りのシーズンだった。山形の農村は美しい。

 今はちょっと放心状態で、しばらくは日常を取り戻すのが難しいかも。
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 こんなに長く新聞もテレビもほとんど見ないというのは、昔むかしラオスの山奥で長編ドキュメンタリーの撮影のADをしていたとき以来だった。帰京後、たまってた新聞とテレビの録画番組をせっせと見て、この間のニュースをいまキャッチアップしているところだ。

 気になったこのかんのニュースをいくつか挙げ、ひと言ずつ感想を言うと―

 北朝鮮が毎日のようにミサイルを打ち上げていた。

 ここまで頻繁に発射すると、北朝鮮のねらい、政治的メッセージは何かという解説が復活してしまうが、発射の目的は核・ミサイルの実戦配備のための改良であって、やれるときにはどんどんやる。逆に言うと、政治的配慮でやれない期間だけ遠慮する。当たり前の話だが、発射はすべて技術的な改良のための実験なのだ。

 きょう宇宙航空研究開発機構JAXA)が小型ロケット「イプシロン」6号機の打ち上げに失敗した。日本のロケット開発には大きな痛手だが、技術的にはこの故障を突き止めることで次が見えてくるという意味で、失敗にも価値がある。たくさん実験をやることで進化していく。

 北朝鮮のミサイルの水準が、すでに日本の迎撃能力をはるかに上回るほどに達してしまったのも、発射実験にまい進していたからだ。いま騒いでも遅すぎる。

 国葬儀」なるものがあったらしい。

 その日、9月27日は私が山形市に入った日だが、まったく「異常」は見られなかった。翌日28日、旧友10人以上と飲み会をやったのだが、誰一人「国葬魏」を話題にしなかったし、その言葉自体も聞かなかった。国民が悼まない「国葬儀」は無意味だ。

 それにしても、統一協会自民党の癒着ぶりは底なしであることがますます明らかになってきている。その政界フィクサーみたいな立場にあった安倍晋三氏を調査対象にしなければ真相を解明できない。

 統一協会が、政策に影響を与えたことは深刻で、それはさまざまな方面に影響が出ていることを知らなければならない。
 例えば、中高生の性の現状を憂うる産婦人科医の河野美代子さん(『さらば悲しみの性』著者)によれば、「性の悲しみは以前よりも増しています。性教育が2000年代に激しいバッシングを受けて貧しい内容に後退した一方、AVがセックスの教科書になっています。」

 具体的に社会に悪影響を与えてきたのだ。

 ロシアがウクライナ4州の併合を決めた。 

NHKニュースより


 併合といっても、州全体(黄色い線で囲ってある)なのか、それともロシア軍が占領しているエリア(赤い部分)を意味するのか?
 ルハンシク州とドネツク州は州全体だが、ザポリージャ州とヘルソン州についてはどちらの意味か不明だという。

 プーチンは4州を「併合」したうえで、「自衛権」を持ちだし、ここはロシアだから攻撃されたら侵略とみなして核兵器でも何でも使うぞと脅している。なりふり構わない暴挙に出たわけで、これで「停戦」「休戦」への道は完全に閉ざされた。

 プーチンの30万人の予備役の部分的動員命令で、抗議行動が再燃、多くの人々が拘束された。また兵役逃れのため数十万人の男子がロシアから国外へと逃げだしたという。

 こうした国外脱出組をどう見るかでEU諸国も割れてきた。例えばロシア人へのビザの発行を停止すべきか否か。ロシア人に、プーチン打倒の方向に向かわせるため停止して思い知らせるのがよい、いや戦争に反対するロシア人はむしろ受け入れていくべきだと意見は割れている。

 どちらも理屈は立つ。
 ウクライナ人のなかには、兵役逃れのロシア人たちの反戦は自分が殺されたくないだけの動機であって、ウクライナでの殺りくを罪悪とする本当の反戦ではないという厳しい意見もあるのだが、『サンデーモーニング』(10月2日)で、コメンテーターの渡辺カニコロンゴ清花氏(難民の就労支援活動をしている)が、国外脱出するロシア人の個々人を難民として見るという明快な論理を語って、なるほどと思わされた。

「本国にあって迫害や差別を受けて、本国による保護を受けられず、国外に出る人」は難民であって、保護されるべきだというのだ。

 人権にかかわる活動を現場で続けている人のもつ明確な切り口にうなづかされることが多い。