東京五輪はニュースのダイジェストで結果を観ているだけだが、ある選手に注目した。
体操女子個人総合で優勝した米国代表のスニーサ・リー選手(18)。
リーという姓ならチャーニーズかコリアンの米国人かと思っていたら、彼女、中国南部やベトナム、ラオスに暮らす少数民族「モン族(Hmong)」にルーツを持つ人だった。
モン族といえば、インドシナ戦争で、フランス、ついで米国が主にラオスでの戦いに利用し、精強な武装ゲリラとして投入した。これは「ラオス秘密戦争」と呼ばれ、CIAが指揮を執った。バンパオ将軍という有名なリーダーのもと、ラオスの共産勢力(パテトラオ)を苦しめた。
戦闘によって多くの犠牲者を出したうえ、75年、ベトナム戦争が終わると、ラオスやベトナムの政府軍による掃討作戦で追いつめられ、数十万のモン族がラオスから脱出した。米国に利用しつくされた末に見捨てられた悲劇の民であり、ベトナム戦争でもっとも被害を受けた民族集団といってよい。
リー選手の祖父も米軍に協力、ラオスで社会主義政権が発足すると迫害を恐れて米国に移住したという。私がバンコクに駐在していた1980年代前半、タイ国内の難民キャンプに多くのモン族の難民がいて第三国定住を待っていた。90年代にラオス北部でモン族を取材したさいには、いまだに政府から差別を受けていると訴えられた。国外に逃れた人たちも、ラオスに留まった人たちも苦難の道のりを歩んできたわけである。
現在、モン族は米国だけでカリフォルニア州やミネソタ州、ウィスコンシン州を中心に30万人超が暮らすという。クリント・イーストウッド監督の映画「グラン・トリノ」(2008年)で登場するのがモンの若者だ。
モンはもとは焼き畑で暮らす山地民である。米国に移住しても、あまりの環境の落差に、社会に適応できない人々も多いと聞き、気になっていた。それだけに、18歳のモンの若者が五輪の晴れ舞台で「体操の女王」の栄光に輝いたことに感慨深いものがあった。
《親子の二人三脚で歩んできたが、ジョンさん(父)は19年、はしごから転落して下半身不随に。リー選手も足を骨折したほか、新型コロナ感染で親族を亡くすなど、「(体操を)やめようと思うこともあった」と苦しかった日々を振り返る。
さらに、リオデジャネイロ五輪4冠を達成したチームメートのシモーン・バイルス選手が精神面への負担回避を理由に欠場を表明。メダルへの期待や重圧がリー選手に一気にのし掛かったが、「自分のために頑張るんだ。楽しめ」という父の言葉を胸に逆境をはねのけた。
出身地であるミネソタ州セントポールの近郊では家族や友人が大勢集まり、金メダルが決まると大歓声を上げ、喜びを爆発させた。リー選手はメダル獲得後のインタビューで「モン族の人には夢がかなうことを知ってほしい。決して諦めないで」と訴えている。》 (時事)
半世紀におよぶ知られざる苦難の歴史を生き抜いてきたモン族には、彼女の優勝が大きな勇気づけになったことだろう。