畑のトマトがぐんぐん育っている。
きょうは暑くなりそうだ。
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報特のウイグル問題特集のつづき。
「職業訓練施設」では、何が行われていたのか。
2018年、国際人権団体の招きで来日したオルム・ベカリさんが話す。
〈ベカリさん〉
「2017年3月26日に、新疆中部にあるトルファンのピチャンで拘束されました」
新疆出身のベカリさん、カザフスタンに帰化し、旅行業を営んでいた。新疆の実家に帰省したとき、警察が実家にまで乗り込んできて、テロの疑いをかけられ「職業訓練施設」に連れていかれたと話す。
ウイグル語の使用を禁止され、職業訓練とは名ばかりの場所だったという。
〈ベカリさん〉
「施設では、彼らがテロにあたるとする46項目について、何度も何度もたたきこまれました。また、中国共産党や習近平国家主席をたたえる歌を唄わされました」
(歌う)♪共産党がなければ新しい中国はない・・
さらに、テロの容疑を認めるよう、拷問を受けた。
〈ベカリさん〉
「この傷は拷問の痕です。拷問は2,3時間続きます」
「椅子に縛られて殴られました。このあたりとか・・何人か交代で殴り続けます。人間のやることじゃありません。目の前で死んだ人も二人見ています」
自分がいた部屋の見取り図を描いてくれた。12平方mほどの部屋に24時間鎖につながれていた
〈ベカリさん〉
「部屋ではこの丸のそれぞれに人が鎖でつながれていました。合わせて数十人いました。死刑を待っているような光景でした」
どのように縛られていたのか、持参した鎖で再現してくれた。
〈ベカリさん〉
「実際には足と足の間はもっと狭いです。
「平気で仕事や言葉を教えるとか言うけれど、実際は鎖で縛って、私たちは死を待つだけでした」
妻がカザフスタン政府にかけあったこともあり、拘束から8か月後、施設の様子を口外しないことを条件に解放された。
新疆からの亡命者を多く受け入れているトルコ
イスタンブールに、長期間、新疆で拘束されていた女性がいた。
2019年、取材に応じたのは、カザフスタン国籍のウイグル族、グリバハール・ジェリロバさん。カザフスタンと新疆を行き来して、衣類の貿易を行っていた。
2017年、買い付けにきたウルムチ市内で拘束。
〈グリバハールさん〉
「朝8時に警察がホテルのドアをノックしてきました。聞きたいことがあると車に乗せられ、夜中に収容施設まで連れていかれました」
地元当局は「テロをほう助した」としたが、本人はまったく身に覚えがなかった。
〈グリバハールさん〉
「子どもたちが中国大使館に問い合わせたところ、グリバハールはテロに参加したと書面で回答がありました。私はテロリストではありません」(と泣く)
1年3カ月ものあいだ、多くの女性たちと過酷な体験をしたという。
〈グリバハールさん〉
「週一回、丸裸にされ、電器棒を持った警官が10人ほど入ってきて、部屋を点検します。そのかん、銃をもった3人の男が私たちを見張っていました。
収容時の検査で妊娠していると分かった女性は強制的に中絶させられました。みんなで泣きました」
〈グリバハールさん〉
「これです。この場所で拷問を受けたんです。鉄の椅子に座らされました。殴られて気を失うことがありました。
なかには、取り調べから戻ってきて、死んでしまった女性もいるんです」
2018年に釈放され、世界各地で証言を続けている。
中国共産党系の機関紙は、「犠牲者を装う役者」と証言を全面否定。
トルコはいま経済的に中国依存を強めている。危険を感じる機会が増えたというグリバハールさんは、より安全な地をもとめて、去年フランスに渡っていた。
問い:新疆のいまの状況はよくなっていますか?
〈グリバハールさん〉
「全然よくなっていない。いまの時代、ネットやSNSがこれだけ発達しているのに、新疆にいる多くの人と連絡すら取れないことはおかしいと思います。
中国によってウイグルの文化は消されています。
人々が行き交うバザールは解体されバリケードで封鎖された 2014⇒18
祈りをささげるモスクは駐車場に姿を変えた 2010⇒19
ここ十年で新疆の街並みは大きく変わってしまった。背景にあるのは習近平政権がかかげる中華民族の復興に欠かせない「一帯一路構想」だ。
〈法政大の熊倉潤准教授コメント〉
・・新疆には石油などの天然資源やレアメタルも豊富にある。一帯一路で西方の国とつながる鉄道が通るのは新疆で、非常に重要。要の位置にあって絶対に手放すことができない。(それが)弾圧される側の叫びや告発につながっている・・・
日本政府は制裁には踏み切らずに慎重な姿勢だ。
〈茂木敏充外相〉
・・(アメリカと)新疆ウイグル自治区の人権状況について深刻な懸念を共有した。
日本として今後どう対応していくかは更に検討を深める・・
日本には3000人の新疆出身者がいるとされ、帰化した人もいる
故郷に帰れない人たちの思いは
〈アフメットさん〉
「『私達はあのときにもっと声を上げて、それを阻止すべきだった』という風に、世界の政治家が思う時代が科ならず来ると思います。
世界のどこで誰の身に対して起きても、許さないんだと、放置しないんだと、そういう世界を創っていくかどうか、政治家たちの判断、行動力が問われているんだと思います」
ここでVTRは終わり、取材した宇佐美幸徳記者がこうコメントした。
「2018年にアフメットさんに初めてお会いした時には、家族に危害が及ぶとして、顔出しの取材は断られた。今回、顔を出して、相当な覚悟を決めて取材に応じてくれた。その裏には、現状に対する大変な危機感があると思う。
アフメットさんは大変冷静な方で、私たちの取材に、ウイグルの言い分を聞くだけでなく、欧米の言い分、そして中国の言い分も聞いて、総合的に判断してほしいと言っている。このうらにはウイグル問題がまだまだ知られていない、知られたあかつきには、分かってもらえるはずだという思いがあると思う」
アフメットさんの最後のコメント―あのときもっと声をあげて阻止すべきだったと世界の政治家が悔やむだろう―は非常に重い。
これはヒトラーが台頭したときを想起させる。世界は、彼の強引な拡張政策を批判し警戒しながらも、懐柔して何とか止められないかと逡巡しているうちにナチスは戦争とジェノサイドへと突き進んでいった。
戦うべき時期を逃がせば、災厄を被るのはウイグル人だけではなくなるという歴史の教訓を、アフメットさんは語っているように思われる。