学術会議任命拒否問題で、政府は拒否の理由を説明できないでいる。いや、説明できないというより、説明しない。
理由を明らかにしないということは「恣意的」と同義になる。
《日本学術会議が推薦した会員候補6人が任命されなかった問題で、初の国会質疑が7日の衆院内閣委員会で行われた。菅義偉首相が6人を除外した判断の基準や理由が最大の焦点だが、政府側は「総合的・俯瞰(ふかん)的」という抽象的な表現を繰り返して、具体的に説明しようとしなかった。野党側は26日からの臨時国会でも追及する構えだ。》
《これまで会議が正式に推薦した候補者を首相が任命しなかった例はなかった。それだけに菅首相がどういう判断基準で除外したかが最大の焦点となっている。
菅首相は5日の内閣記者会のインタビューで「(学術会議の)総合的・俯瞰的な活動を確保する観点から、今回の任命について判断した」と語った。》
安倍内閣でも「総合的に判断した」など抽象的で無内容な答弁をすることがよくあったが、菅首相はこれを踏襲するのか。
《内閣府の三ツ林裕巳副大臣は新たに「業績にとらわれない広い視野に立って活動を進めていただく必要があるということ」との説明を加えた。業績だけではない、何らかの要素を考慮して、首相が人選したことを示唆した形だ。》
日本学術会議法第17条には「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする」とある。
学術会議では、この条文に従って「研究」と「業績」をもとに選んで推薦したという。三ツ林副大臣があえて「業績にとらわれない」というからには、別の選考基準で選んでいるということだ。それはいったい何なのか?
それが言えないとなると「恣意的」に、例えば菅首相の好き嫌いで拒否したことになる。
《さらに、安倍政権が進めた安全保障法制に反対する考えを表明した学者も6人の中に含まれることから、関連性も追及した。しかし、政府側は「総合的・俯瞰的」を10回以上繰り返して具体的な説明を避けた。》(朝日新聞)
徹底追及すべし。
この任命拒否事件、あまりにも子供じみており、かつ危険である。
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こないだの青森への旅の思い出から。
青森に行くなら下北半島を訪れたかった。
そこは、薩長の明治新政府が「朝敵」への懲罰として、会津藩士1万7千人を移住させた先だったからだ。
日本史に例を見ない大量流刑の残酷な仕打ちが、つい150年前に行われていた。これについての本には、『ある明治人の記録 改版 - 会津人柴五郎の遺書』、星亮一『斗南藩』(いずれも中公新書)がある。
下北半島といえば恐山に行くしかない。
あまり予備知識がなく、恐山という山に登るのかと思って行くと、そこは曹洞宗のお寺(恐山菩提寺)だと知った。入山料500円。寺の境内に広大な霊場が広がっている
小雨のパラつく週日だったが、参拝客はそれなりにいた。高齢者が多いのかと思ったら、若い人の比率がけっこう高い。半数は40歳前のようだ。
「パワースポット」の感覚で来ているのかも。パワースポットの人気投票で、恐山は、1位の伊勢神宮につづく堂々の2位だそうだ。
恐山菩提寺の院代(住職代理)の南直哉師が『恐山』(新潮新書)という本で、こんなことを書いている。
パワースポットが、激烈な現世のなかで、元気が欲しいとか癒されたいとか、いい運を授かりたいとか思ってやってくる場所だとすると、恐山はそれとは真逆だ。風呂の底の栓を抜いたら水が吸い込まれていくような、「パワーレス・スポット」である。
死は、元気や癒しや運などを無意味にするし、日常生活に役に立ったりしないが、我々の存在において決定的な意味を持ち、そこには生を圧倒するリアリティと強度がある。死と向き合ってしまった人間の感情や想いを放出する場所が霊場なのだ。と
なお、南師は永平寺で長く修行した禅僧で、オカルトとはっきり一線を画している点に共感した。
死後の世界があるかないかという問題については、
「『あるか、ないか』と、はてしない議論をしても無駄だからやめておけというのがブッダの教えであります」
「仏教において、この類の話は大して重要ではないんです」
「必ずしも簡単とは言えない人生を、最後まで勇気を持って生き切るにはどうするか。それこそが仏教の一番大事なテーマであって、死んだ後のことは、死ねば分かるだろうぐらいに考えればいい。これが仏教の公式見解だと私は思っています」と説いている。(P28~29)賛成。
鼻をつく強烈な硫黄臭のなか、荒涼たる一面の石の原を巡りながら死者を偲ぶというのが霊場恐山だ。
でも、おどろおどろしいばかりではなく、高台からは峰々に囲まれた静かな宇曽利湖が見渡せ、風光明媚である。また、誰でも入れるとてもいい温泉が四つもある。私は「薬師の湯」というのに入ったが、白濁しとろりとしたお湯で気持ちがよかった。
というわけで、私はここを、ユニークなテーマパークとして楽しんだ。
恐山とくれば「イタコ」だ。霊場をくまなく歩きまわったが、どこにも見当たらない。どこか特別な場所にでもいるのか。
事務所の人に「イタコさんはどこにいるんですか」と尋ねると、「いまコロナで、いねえよ」とのこと。
「みな年寄りばっかりだから、おっかねがって来ね」。
あらら、イタコまでもコロナ禍の影響をうけているんですか!
たしかに、「口寄せ」は「密接」な作業だからなあ。
今年はコロナ感染を避けるため、霊場には来ずに自宅で「営業」しているという。イタコが急に「個人事業主」のイメージになってくる。きっと収入が減ったはずだから、持続化給付金は申請しただろうか・・してないよな。
イタコは境内で「営業」しているので、寺に問い合わせがくるそうだが、寺が管轄しているわけではなく「黙認」しているだけだという。
以前は30人以上いたが、いまは7~8人と少なくなったそうだ。
今回は会えなくて残念でした。