菩提寺に戦争を見た

 トランプ大統領と夫人がコロナ陽性と判明したそうな。

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コロナ陽性のヒックス氏(ホワイトハウス広報部長)とこれではうつるでしょう。

 コロナなんか大したことない、マスクなんかいらないとウイルスを軽視した指導者たち(ブラジルのボルソナロ大統領、ベラルーシのルカシェンコ大統領など)と同じ道をたどっている。

 これが1ヵ月後に迫った大統領選にどう影響するか。
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 先月28日から東北を旅していた。

 山形の実家に墓参りに行ったついでに、青森まで足を延ばして、三内丸山遺跡酸ヶ湯(すかゆ)温泉、棟方志功記念館、恐山、八戸を回ってきた。
 「大人の休日倶楽部パス」という割安な切符があって、1万5270円でJR東日本は乗り放題、新幹線に6回乗れる。Go To トラベルというやつは使わなかったが、旅費はとても安く上がった。
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 で、まず墓参りに菩提寺の珍蔵寺へ。

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曹洞宗のお寺で、戊辰戦争のときは上杉家のお姫様がここにかくまわれたとか。

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米沢を中心都市とする置賜盆地をのぞむ

 ここは置賜盆地を見晴らす高台にある。山号は鶴布山(かくふざん)といい、「鶴の恩返し」の伝説で知られる。

www.city.nanyo.yamagata.jp

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本堂には鶴のはく製が

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シュウカイドウ(秋海棠)が咲いていた

 お寺の周りは広い森で、四季折々の自然が心をなごませてくれる。

 置賜第十八番札所の「新山観音堂」は子どものころの遊び場だった。仁王像と大わらじも備え、立派なお堂だったのだなと今になって思う。

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観音堂

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お堂には見事な彫り物がある

 お国自慢のようになってしまいました。
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 ところで、毎回、お寺を訪れるたびに発見があるのだが、今回は、本堂に昔の写真が飾ってあるのに気がついた。
 戦争のために金属を供出させられたときのものだ。梵鐘のほか、種々の仏具が写っている。

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昭和17年(1942年)12月11日 応召記念とある

 友人の長野県の地域史家、桂木恵さんによると、「渋谷のハチ公も2代目」だそうで、金属回収は全国で広く行われた。

 日中戦争が本格化し、1937年 国民精神総動員運動、1938年 国家総動員法が施行されると、対米関係悪化を想定して金属製品の回収が活発化したという。(日独伊三国同盟を契機としてのアメリカの鉄くずなどの対日輸出禁止は1940年) 貴金属類も半強制的に買い上げられるようになった。

 実際の回収は末端の町内会や国防婦人会などが行い、自治体が音頭取りをした。

 1941年9月(対米英宣戦布告の3か月前)に金属回収令が出された。
 企業からの回収率は目標量の36%に過ぎなかったのに対し、家庭からのそれは174%と目標を大幅に上回った。下からの「自発的」な運動として展開され、我も我もと供出に協力していったからだろう。身の回りの金属、例えば蚊帳(かや)の釣鐘まで供出しましょうと地域で声かけあって進められた。

 1942年5月にはお寺の梵鐘仏具の「譲渡」命令が出る。
 この件でぜひ知って欲しいと桂木さんが挙げたのが、長野県信濃町にある称名寺の石の梵鐘だ。

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 1942年10月に供出させられたときのことを忘れないために今でも石の梵鐘を吊しているという。

 1943年には、企業対象の金属回収が強制的に行われ、長野では、善白(善光寺-白馬)鉄道が強制的に事業停止となり、レールは政府が回収した。

 まさに総力戦だったのだ。

    各地の銅像などはもちろん回収の対象で、桂木さんは「家康も信長も戦争に行ったんだよ」と戦争の話をはじめるとみな食いついてくるという。金属供出の話は、一般の人にとって入りやすい総力戦の切り口なのかもしれない。

 このごろなぜか、戦争の話に引き寄せられる。きな臭さをどこかで感じているからだろうか。