テレビ朝日は4月12日、『報道ステーション』のメインキャスター(月~木曜)を務める富川悠太アナウンサー(43)が、新型コロナウイルスに感染したと発表した。
テレ朝「モーニングショー」は、コメンテーター全員がスカイプ出演になった。
東京は、いまや誰がどこで感染してもおかしくないレベルになっている。
きょうの厚労省発表では一日の陽性判定者が500人台で少し減っているが、検査数も少なくなっている。週末だからだろう。明日からどうなるか。
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きのう12日、自粛、休業要請のなか、安倍、麻生氏の私邸にデモをかけた人たちがいる。
デモを呼びかけたのはキャバクラで働くヒミコさん(20代)。完全失業状態で、あと2週間でアパートを出て行かねばならないという。
失業者やバイトを失った大学院生など怒れる市民が渋谷ハチ公前から高級住宅地のなかを練り歩き、安倍、麻生邸から100m手前で規制されたという。(田中龍作氏のツイッターより)
「休ませたいならカネをくれ」という至極まっとうなシュプレヒコールを安倍、麻生両氏はどう聞いたか。
その安倍氏が私邸で何をしていたかというと・・・
SNSで安倍首相のFBが回ってきた。星野源とのコラボ動画で、犬と戯れてくつろいでいる。あきれた。
国民に自宅にいさせるために、国のリーダーがなすべきことは、自分が自宅でくつろいでいる動画を見せることなのか?!
食べるために、電車に乗って仕事に行かざるをえない人のことを考えないのか。
信じがたい・・怒りがわいた。
憤激した人は多く、日刊スポーツがこの紙面。
《新型コロナウイルス対策で先頭に立つはずの首相の超然とした姿にマリー・アントワネットを思い起こした人も多い。「下流老人」などで知られる藤田孝典氏は「この国の首相は貴族か。フランスなら第2のフランス革命が起こる異常なレベルだよ」。》
《荻原博子さん(経済ジャーナリスト) 466億円もかけて布マスク2枚で世間をずっこけさせたばかりなのに、この動画。あなたはルイ16世かと言いたくなる。安倍さんも安倍さんの周りにいる官邸官僚もずれまくっている。本当にギリギリまで追い詰められ、首をくくらなければいけない人が出ているのに、こんなずれた人たちが対策を立てている。安倍さんに緊急事態宣言を出さないとダメですよ。》
で、世論は・・
産経新聞・FNN世論調査(4月11~12日実施)
新型コロナをめぐる一連の政府対応に関して
評価する 28.7(22.7ポイント減)
評価しない 64.0(25.1ポイント増)
信頼されないのは当然だが、内閣支持率はまだ4割もある。もっと引きずりおろさないと。
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きのうの続き。
山田ズーニー『おとなの進路教室』(河出文庫)では、姪っ子の進路について考えていった結果、
「職業名」×「テーマ」だけでは足りない、これにもう一つの要素、「世界観」が必要ではないかと山田氏は言う。これは彼女自身が33歳のとき、それまでの人生最大に悩み、「自分の本当の居場所は、ここではない」と思い模索した結果見つけたという。
ちなみに、「33歳病」という言葉があるそうで、この年齢前後に、自分はこのままでいいのか、と悩む人がたくさんいるという。そういわれれば私もその年齢のころ、転職を考えたことがあった。(失恋もあったのだが・・)
さて、「世界観」について山田氏の意味するものとは、
《「職業名」×「テーマ」=「社会福祉士」×「地域と福祉」
の姪っ子には、
「なんで地域と福祉なの? たとえば、一人のおばあさんがいるとして、地域から、この人の福祉を考えていくって、地域どうすること? 将来、社会福祉士になれたとして自分のいる地域をどう変えたいの?」
と、質問を浴びせかけながら、彼女が、実現したい福祉の「世界観」を具体化してもらった。
中学・高校と、老人ホームの訪問を続けてきた姪の経験の湖から、浮上してきた言葉は、お年寄りから、必ずといっていいほど聞くというこの言葉。
「家へ帰りたい」
だった。そこからどっと彼女の想いが出てきた。
老人ホームのような、いわゆる箱モノを充実させてそこに、次々と老人を隔離していくようなやり方は、彼女が実現したい世界観とはまったく違うと。
そこから彼女は、社会福祉士を目指したきっかけは、「人にはそれぞれ歩いてきた道のりがある」と知った衝撃からだった、ということを言葉にできた。
そこから、彼女は、人が老いていくときには、住み慣れた地域の風景と、見慣れた人の顔が絶対に必要だと言った。
人が住み慣れた家で、見慣れた風景と、おなじみの人の顔につつまれて人生をまっとうできるようにするために、地域はどうあったらいいか、福祉はどうあったらいいか、自分にはどんな知識が必要か、と考えるところから、大学でのプランが生まれ、将来のビジョンが文章になっていった。
そのようにして、何度もの添削の果て、姪っ子からあがってきた自己推薦状を読んで、私はちょっと泣きそうになってしまった。そこには、
「なりたい職業名」×「マイテーマ」×「実現したい世界観」
が、18歳ながら、しっかりと人に伝わるように書けていたからだ。その瞬間、「受験」も「就職」も、手段にすぎないと思えた。一番大事なものがはっきりすると、それ以外は手段になる。
いくら大学にストレートで入れ、社会福祉士になれ、地域の福祉に携われたって、次々と地域の老人ホームを充実させることに加担させられ、そこにお年寄りを送り込むことに加担させられるのなら、彼女の夢は死んでしまう。
しかし、たとえ、望む進学、望む職業につけなくとも、別の職業、別のやり方でも、お年寄りが、住み慣れた家、風景、おなじみの人の顔につつまれて過ごせる地域と福祉に貢献できるのなら、彼女には、内なる満足があるだろう。
自分の中に育った「世界観」の実現に向けて、時間がかかっても、一歩一歩、歩を進めているとき、人は、やりたいことがやれている充実感がある。
彼女は自分の思う、福祉の世界観を実現する方向に歩を進めるだろう、と思った。
どんなに遠回りをしても、どんな立場からでも。
だから、夢は適う。必ず。決して、甘い意味でなく。》
これを読んで、私が進路を考えていた若いころを思い出した。
例えば同じ教員でも、教育への姿勢、生徒への対応や思いのかけかたは一人ひとり全く違う。尊敬できる教員もいれば、なぜこの人は教員になったのだろうと疑問になる人もいる。
だから、大事なのは教員という職業ではなく、「どういう教員」になるか、つきつめるとその「どういう」が大事なのではないかと思っていた。
山田ズーニー氏は、私の「どういう」を「世界観」という言葉で表現したのだと思う。
《33歳病の人も、自分の内に育ってしまった世界観が外の世界とせめぎあうから、たとえ、やりたかった職業に就けていて、たとえ、やりたかったテーマを扱えていても悩むのだろう。
やりたいことが見つからない、と言うとき、
探しものは何ですか?
「なりたい職業名」×「マイテーマ」×「実現したい世界観」
あなたが探しているのは、この中のどれですか?》
https://www.1101.com/essay/2004-11-24.html
これを参考に、考えていきます。