ウイグルで何が起きているのか―メヒルグル・トゥルスンさんの証言1

 立花孝志代表の「NHKから国民を守る党」(N国)が、「北方領土を戦争で奪い返す」発言の丸山穂高議員(元維新)の入党を発表。さらに秘書への暴力とパワハラで告発されている石崎徹議員(自民)など問題議員や渡辺喜美参院議員にまで入党勧誘しているという。
 その一方で、N国がトンデモ政党だということが明らかにされ、危険なその体質に警鐘が鳴らされている。立花代表自身が悪質なデマを振りまく人物である他、40人近い地方議員もネトウヨ、ヘイトの巣窟だという。「NHK問題の本質は、内部に朝鮮人が増えたことが原因」などというヘイトデマを流す者までいる。N国が5議席を超えれば、代表質問権を得て国会がメチャクチャになるとの危惧はもっともだ。ストップN国!
https://lite-ra.com/2019/07/post-4871.html
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 シリアのある写真が衝撃を与えている。

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がれきの下敷きになったまま妹(右)を助けようとする5歳の姉リハムちゃん(中央)。父親(左上)は姉妹に向かって何かを叫んでいる(シリア反体制派メディア「SY24」提供)

 《内戦が続くシリアの北西部イドリブ県で、空爆で倒壊した建物の下敷きになった5歳の女児が生後7カ月の妹のシャツをつかみ、助けようとする写真が会員制交流サイト(SNS)などで拡散している。現地メディアが28日までに伝えた。女児はその後死亡、妹は集中治療室(ICU)に入っている。痛ましい状況に衝撃が広がった。
 イドリブ県は反体制派の最後の拠点で、アサド政権とロシア軍による激しい攻撃が続いている。
 写真は24日、現地ジャーナリストが撮影した。倒壊した建物の上の方では、父親が姉妹に向かって必死に何かを叫ぶ様子が写っている。建物はその後さらに崩れ落ちた。》(共同)
 イドリブで起きていることは、これまでアサド政権が行なってきた住民無差別殺戮の延長だ。米国がシリアから手を引く姿勢を見せるなか、ロシア、イランが支援するアサド政権主導の「安定」へと向かう趨勢だが、それは恐怖の平和を意味することになる。
 まずはとにかくアサド政権とロシア軍の爆撃をやめさせなければならない。
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 7月6日(土)午後、明治大学で「ウイグル人証言集会」(アムネスティインターナショナル・明大現代中国研究所共催)があった。
 ウイグル問題の日本での第一人者、水谷尚子さん(明治大学准教授)によると、強制収容所に入れられているウイグル人は数年前までは「100万人」と言われていたが、今ははるかに多いだろうという。人権団体などでは、少なく見積もって80万人、300万人の数字をあげるところもあるという。新疆ウイグル自治区の人口は2500万人で、うちウイグル人は1000万人余りとされるから、100万人でも1割、300万人だとすれば3割が収容所送りという想像を絶する事態である。
 はじめは外国に留学した人、とくにイスラム学を研究する人などから尋問、収容され、次第に知識人、宗教に熱心な人、政府に批判的な人、子どもをたくさん産んだ人、外国に旅行に行った人、外国に親戚のいる人など、どんどん収容対象者の範囲が広がり、ささいな口実で誰もが引っ張られる無差別収容と言っていい状況だという。
 私は報道や人権団体の発表などで、ある程度はウイグル情勢を勉強し、このブログでも何度か触れた。また、去年秋に来日した「世界ウイグル会議」総裁のドルクン・エイサ氏に直接話を聞き、あまりの非道さに驚いた。https://takase.hatenablog.jp/entry/20181121(後日報告すると書いてそのままになっている)
 6日の集会では、9人もの在日ウイグル人がはじめて実名で、新疆ウイグル自治区の家族や友人が受けている人権侵害を訴えた。直接に聞く証言の内容はどれもすさまじく、嗚咽に詰まりながら話す人もいた。
 人権活動家のウイグル人、イリハム・マハムティさんによると、2年ほど前までは、日本でいくら訴えても信じてもらえなかったという。あまりに酷い話なので、「いくらなんでも中国政府が、そこまでのことをするわけがない」と思われたというのだ。
 ところがこの日は明治大学の250人定員の会場は予約がいっぱいで、予約せずに行った私は「キャンセル待ち」に。結局入れたが、関心を持つ人が増えているのは喜ばしい。

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 集会の最初の証言者は、メヒルグル・トゥルスン(Mihrigul Tursun)さんという米国に亡命したウイグル人女性だった。この集会のためにインタビューした録画を流し、その後、スカイプで会場と米国のトゥルスンさんを結んで質疑応答が行なわれた。
 彼女の証言がもっとも詳しく現地で起きている事態を伝えているので、私のメモをもとに内容を紹介したい。

 

 トゥルスンさんは30歳。中国の新疆ウイグル自治区で育ち、広州大学で経済学を学んだあとエジプトに留学。カイロで働いていたウイグル人の夫と知り合い結婚し、三つ子(2人男子、1人女子)を授かった。
 悲劇は、乳児3人と里帰りで中国に向かったことからはじまる。
 2015年5月13日、生後45日の新生児を抱えてウルムチの空港に着いたら、その場で別室に入れられた。理由はなく、ただ「聞きたいことがある」とだけ言われた。そこから、子どもと引き裂かれ、手錠をかけられて刑務所へと連行された。
 刑務所では7日間、真っ暗な独房に入れられ、連日、なぜ外国に行ったのか、誰と付き合っていたかなどの尋問を受けた。
 その後、一般の監房に入れられた。そこにいたのは、夫が外国にいたり、熱心なイスラム教徒だったり、子どもをたくさん産んだなどの理由で拘束された二十数人の女性で、3人がカザフ人であとはウイグル人だった。拷問される声が監房に聞こえた。食事は、朝、中華まん、昼、おかゆ、夜、中華まんが与えられた。
 収容される前62㌔あった体重は出た時51㌔まで減ったが、それでも、後に2017年、2018年に入れられた収容所よりも待遇はマシだった。
 7月末、「子どもが重病だ」と告げられ、連れて行かれた小児病院には3人の子どもが寝かされていた。3人ともなぜか首の右側に手術された痕があった。栄養を入れるためだというがはっきりした理由は不明だ。
 翌日、遺体を引き取るようにと言われた。一番先に産まれてきた息子のムハネットが亡くなったのだった。3人のうちでは最も元気な子だった。

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一番右の長男が遺体となって返された

 いったん仮釈放になり、両親の住む実家(ウルムチから遠く離れたチュルチュン県)に身を寄せた。子どもを抱え、働かなくてはならず、警察の許可を得て仕事をしていた。夫とは連絡できず、監視下に置かれていた。
 2017年、ふたたび拘束されることになるが、その処遇は、最初の拘束とは比較にならぬほど酷いものだった。
(つづく)