死ぬ時節には死ぬがよく候 良寛

 節気はもう清明。万物ここに至りて皆潔斎にして清明なり。もう暦の上では晩春になる。コゴミやワラビも出てくるころだ。沖縄では「清明祭」(シーミー)という、墓前に親類縁者が食べ飲み踊る行事があるという。
 初候「玄鳥至」(つばめ、きたる)が5日から、10日からが次候「鴻雁北」(こうがん、かえる)。末候「虹始見」(にじ、はじめてあらわる)が15日から。
 きのうはお釈迦様の生誕日だった。


待たれにし花は何時しか散りすぎて
  山は青葉になりにけるかな
 江戸時代の禅僧、良寛の詠んだ歌だが、今か今かと待っていた桜はぱあっと華やかに咲いてさっと散っていく。ああ、惜しいな、散らないでほしいと思うのだが、良寛のこの歌は、時の移ろいをそれはそれとして静かに受け容れていく心境を詠っているようだ。


 「手鞠つきつつ」と、子どもと楽しく一日中遊ぶイメージが浮かぶ良寛だが、実は若いころ倉敷の圓通寺での非常に厳しい修行を経て、高い覚りの境地にあったという。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20160325

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良寛さんの肖像。絵本では丸顔に描かれるが、実際は面長の鋭角的なお顔だったようだ。

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候
 良寛が71歳の時、住んでいた越後を大地震が襲った。今の新潟県三条市周辺で1500人以上の死者が出た三条地震(1828年)である。地震で子どもを失った、親しい年下の親戚への見舞い状に書かれた一文だという。

    思い通りにいかない人生、さまざまな不幸に遭ったとき、こう納得することができたら、こわいものはなくなる。

 良寛は酒が好きだったようで、酒を詠んだ歌も多い。
あすよりの後のよすがはいざ知らず けふの一日は酔ひにけらしも


 良寛の自由闊達な生き方も、深い達観をベースにしていることを知ると、味わいが違ってくる。こんな爽やかな人生を歩みたいものだ。