翁長氏のパトリオティズム

 雨がつづく。きょうは寒いくらいだった。

 線路ぎわの金網フェンスに巻き付いたアサガオが、オクテなのか、今が盛りだ。

 雨で虫も寄ってこないが、うれしそうに咲いていた。
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 沖縄県知事選は最終盤で「接戦」と報じられている。ネットで情報を漁ると、佐喜真氏がリードしているように見えるが、ここは翁長氏の遺志をつぐ玉城氏にふんばってもらいたい。
 きょうの夕刊は、中島岳志氏(東京工業大教授)の「翁長雄志と沖縄パトリオティズム」がおもしろかった。
 「保守政治家としての翁長の苦悩は、パトリオティズムナショナリズムの相克にあったのだろう。パトリオティズムは、一義的には自分が所属する郷土への愛情であり、近代国民国家の誕生とともに構成された政治的ナショナリズムと性質を異にする。政治学者の橋川文三は(略)両者を区別し、『原始的な人間の郷土愛は、そのまま国家への愛情や一体感と結びつくものではない』と論じている。
 近代においてウチナーンチュ(沖縄人)が経験してきたのは、日本という国家にパトリ(郷土)が傷つけられ、分断されることだった。(略)翁長家は琉球処分(明治5年、明治政府は琉球国を廃して日本国に組み入れた)によって没落し、沖縄戦で家族を亡くしている。沖縄の保守は、日本という国家に対して、引き裂かれた感情を抱かざるを得ない。
 翁長は第二次安倍内閣発足後に、大きなショックを受けた出来事があったと語っている。それはサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を日本の独立記念日として祝う式典が開かれたことだった。もちろん沖縄は日本の独立と引きかえにアメリカの施政下に置かれ続け、本土復帰は20年後のことである。
 翁長は、小泉内閣あたりから本土の保守政治家にハートがなくなってきたと語った。そして、日本政府の無理解や差別的対応に対して、翁長は命を賭してパトリの思いを投げかけた。
 翁長の『保守』を見つめ直したい。」東京新聞「論壇時評」)

 民族やナショナリズムについて考えるうえで、沖縄が突きつけるものは外せない。思えばかつて4.28は「沖縄デー」だった。(1970年の東京での集会、デモのニュース映像http://www.chunichieigasha.co.jp/?p=14060
 沖縄が日本から切り離された日を、日本の「独立記念日」として祝うということは沖縄人から見れば裏切りとなるだろう。翁長氏のショックの大きさを指摘されて、そこに私が十分思い至っていなかったことを反省させられた。はたして我々本土の人間は、復帰の前も後も、沖縄人を同胞として見てきたのか。