吉永春子さんと恩送り

 山形は豪雪が続いているようで心配だ。実家の雪下ろしを頼まないと。この冬は何回下ろすことになるやら。
 きのう(11日)、第9回「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」をのぞいた。
http://zkdf.net/

座・高円寺
 吉永春子さん追悼の企画で、「ある傷痕〜魔の731部隊」(1976年)と「街に出よう〜福祉への反逆・青い芝の会」(1977年)の2本の番組を上映したのを観に行ったのだ。吉永さんは、TBSの名物プロデューサー/ディレクターで、問題作を連発した人だ。2作とも以前観ていたのだが、あらためて吉永さんを偲ぶ縁になった。上映後のトークイベント(金平茂紀 (ジャーナリスト)と橋本佳子 (映像プロデューサー))では、吉永さんが直情的で、「これは!」と思ったらすぐに取材に動いたエピソードや、虐げられた人たちに関心を寄せていて1972年4月、返還直前の沖縄に行ったが、返還がテーマではなく精神医療が立ち遅れていて座敷牢状態になっている精神障碍者を取材したなどのエピソードが語られた。

 吉永さんが自らの仕事を語るインタビュー映像が披露されたが、自分のことが取り上げされることをとても嫌がって、これがほぼ唯一のインタビューだという。会場に来ていた聞き手の秋山さんによると、インタビューに行ったら、「こんなことする時間があるなら、ネタを探しに行きなさい」と叱られたそうだ。
 吉永さんはとても怖い人で、近づきがたかったとトークイベントの二人が言う。あいつは殺してやる!などと恐ろしい言葉を連発したり、面と向かって人を怒鳴ったり、たしかに怖い人ではあったようだ。
 ところが、私には驚くほどても優しくしてくれて、窮地にあったとき、「コーヒーでも飲みなさい!」とポケットに30万円をねじ込まれたのだった。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20120107
 (実はこれに続きがあるのだが、ここでは書かない。)
 「恩送り」という言葉があるそうだが、吉永さんを偲ぶたびに、今度は自分が、困っている人に何かしてやれればと思う。