山勢拓弥さんをつくったものー番組制作メモより

カンボジアのゴミ山で働く人たちに雇用を創るため、バナナペーパー事業を始めた山勢拓弥(24)を4日の「情熱大陸」で放送した。見逃した方は、11日まで番組ホームページの「見逃し配信」で観ることができるので、どうぞ。

(工房の前でスタッフと)

(番組に登場した新入りのオーさん(左)と妊娠中のペッさんと)
 山勢拓弥さんをもっと理解してほしいので、番組に盛り込めなかったエピソードを紹介したい。
 まずは、お母さんについて。前回のブログで、小さい頃は引っ込み思案だった拓弥君が、先生に殴りかかるなどひんぱんに騒動を起こし、そのたびにお母さんが看護師の仕事を中断して学校に呼びだされていたことを紹介した。拓弥君の問題行動について、お母さんの善江さんは、「でも、拓弥なりの言い分があって、自分の正義感と違ったことを先生が言うので殴りかかったらしい」と回想している。きのう善江さんにいただいたメールには「やんちゃな息子故、いろんな面で心配でしたが、毎日ドキドキハラハラ楽しい子育てでした」と書かれてあった。悩ましい日々だったろうと想像するのだが、それを「楽しい子育て」だったと言えるのはすごい。
 ここまで書いてきて、去年亡くなった森本喜久男さんを思い出した。森本さんは小学校時代はいじめられっ子だったそうだが(お母さんによると「勉強ができすぎてやっかまれた」)中学校では鑑別所に2回も送られる「問題児」に。原因となったのは、いじめを見過ごす先生に我慢がならず、家出をしたことだった。その後、政治運動で心身がボロボロになるなど、挫折を繰り返す森本さんを、両親はそのたびに黙って受け入れてくれたという。
 子どもがどうなろうと、その子を信じて見守り続ける親の存在は大きいとあらためて思う。
 さて、善江さんがさらにすごいのは、カンボジアから金銭的な助けを求めてきた拓弥君に、一円も与えなかったことだ。何でも許す甘い親ではないのだ。
 実家に電話がかかってきて、善江さんが受話器を取るといきなり拓弥君の声で「金ない!」とだけ言って切れる。こちらから電話をかけてどうしたのかと聞くと、数日間食べていないとのこと。(FBに出る)写真がすごく痩せていたりすると心配になるけれど、「(拓弥が)やると決めてやってるんだから、お母さんは仕送りしないよ、がんばってね」と言って電話を切った。そんなことが一度ならずあったという。
 ゴミ山に出会ったのが、大学に入って2ヵ月、18歳のとき。そしてカンボジアに移り住もうと、その冬には退学してしまう。ビジネスの経験などもちろんない。訪れて間もない地で、いくら小規模とはいえゼロから事業を立ち上げ、維持するのは容易ではない。まさに蟷螂の斧というかドンキホーテ。実は拓弥君、バナナペーパー事業をはじめるにあたって、森本さんに相談していた。そのとき、常日頃若者に「自由に生きよ」と言っている森本さんでさえ、無謀だ、やめておけと止めたという。実際、事業をはじめてからの困難は大変なものだったようだ。拓弥君自身は「三日くらい水しか飲めないこともありましたね」と淡々と語っていたが。
 ただ、拓弥君が1年で大学を辞めると言ったときは、善江さん、さすがに反対したという。いったん休学して、カンボジアでずっとやることに決めたときに辞めればよい、今すぐ自ら退路を断つ必要はないのでは、と言ったそうだ。きっと失敗して帰ってくるだろうと思ったからだ。それでも、拓弥君が退学の意思を曲げない。そこで善江さんは、「ほんとにやりたいなら、やったら。でも、責任を取らなければいけないこともあるよ」と言って許したそうだ。拓弥君が移住するためにカンボジアに出発した日、善江さんは見送りにも行かなかったという。
 ちなみに、善江さんは救急看護界では知られた人で、救急・クリティカルケア領域の家族看護の第一人者。『救急看護学』(2007)から『複数疾患をもつ患者の“実践”看護過程』(2017)まで多くの著作があり、看護教育のテキストになっている。もちろん、東日本大震災後の救急医療の現場にもも入って活躍したそうだ。

 拓弥君を取材しながら、こんなすごいやつがどうやって作られたのか知りたくなったが、その一つは親であるようだ。
 私も拓弥君と同世代の子どもを持つが、善江さんの言葉に感動するとともに、自分の親としての至らなさを思うのだった。勉強になります!
(つづく)