宮本常一が見た昔の日本人1

 台風の影響で、きのう夕方は激しい雨。傘なしで身を隠すところがない外にいてびしょ濡れになった。
 きょうも夕方さっと雨が降ったがすぐに上がった。駅前に人だかりがしてみなスマホを掲げている。
 虹だった。久しぶりだ。



 その反対側は鮮やかな夕焼けだ。美しい。我々が生かされているのは、自然=世界の美しさを讃えるためだという考えに素直に頷かされる。
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 最近、調べもので宮本常一を読む機会があった。
 宮本は柳田國男とならぶ日本民俗学の泰斗で、膨大なフィールドワークによって日本の村々の暮らしぶりを調べ上げた。
 彼の著作を読んでいくうち、晩年、宮本は、近代化によって日本人が劣化していることを憂いていたのではないかと思わせる書きぶりに気付いた。以前はそんなふうに思うことはなかったのだが、たぶん自分の問題意識が変わってきたのだろう。

 例えば宮本は、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』に注目し、1976〜77年にこの本を講読会で取り上げている。(この講読会での話は『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』という本にまとめられた)
 イザベラ・バードというイギリス女性が明治11年に日本にきて、東北地方から北海道まで通訳一人だけをつけて旅をした記録『日本奥地紀行』については、以前このブログで紹介した。私の故郷、山形県置賜地方を、人々が自由な生活を楽しんでいる「東洋のアルカデヤ」(Arcadia桃源郷)と称賛している。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080122
 宮本は、これはお世辞ではなくて、当時の日本の実相だったであろうと言う。
 「当時の日本のことを書いたモースにしろ、アーネスト・サトウの日記にしても、日本のことを、とても賞めているのですが、じつは賞めているのではなくて、その人たちの目に映っているものが、そのままの日本であったといってもいいのではないかと思うのです。
 われわれ、日本に住んでいて、日本の歴史をやっていると物を比較するという面がない。日本の歴史からだけ見ると嫌なことがたくさんあったように見えるし、それをことさらにあげつらった歴史の書物も数多いのです。例えば江戸の終わり頃になると、いたる所で百姓一揆があったと書かれています。しかし江戸時代260年の間に記録に残っている一揆はおよそ1000件くらいなのです。一年にすると4件足らずの非常に少ない暴動ですんでいるのです。そしてその間に、外国のように戦争はなかった。(略)
 ディケンズの『二都物語』を読んでいると、ロンドンからドーヴァーまで一人歩きはできない、危険なので馬車に乗らねばならない、とあります。馬車には護衛官がついているわけで、それが当時、世界で一番平和であるといわれていたイギリスの状態なのです。
 ところが日本へやって来ると、『二都物語』が書かれたのは1859年=安政6年とされていますが、その同じ時期に、東海道の女の一人旅はしょっちゅう見られたのです。「こんな平和な国が世界中のどこにあるだろうか」ということをある人が書いているのを読んで、私は非常に感激したことがあるのですが、こういうことは鎖国が始まった頃にはもうそうなっていたのではないか。」(P10~11)

 この評価は、かつて紹介した『逝きし世の面影』における渡辺京二の見方に通じるものがある。『日本奥地紀行』は、渡辺のこの本でも取り上げられているのだが、宮本はそれ以前にバードの見聞に注目していたのだった。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100116
(つづく)