インドの人たちの顔が変った

きょうは、かみさんの誕生日。夜、仕事帰りのかみさんと娘らと高円寺で焼き肉を食べた。
 「大一市場」という食堂街。このレトロな雰囲気で酒が進み、気持ちよく酔った。娘らも喜んで、こんど友達を連れてくるという。中央線沿線には、まだこんないい所が残っている。

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 夜、帰宅してMrサンデーをつけたら、「週刊文春」で証言した、前川喜平前次官が出会い系バーで知り合った「交際」相手(26)が、インタビューに答えていた。

 「前川さんは私の新宿にいた時のお父さん」だと言う彼女。週刊誌に名乗りでようと思ったのは、前川さんが、出会い系バー通いで窮地に陥ったのを見かねたからだという。恩を受けた人のために、うちの娘と同年代の女性が一肌脱ごうと。これもけっこう勇気のいることだ。こういう人情話に民衆の抵抗力を見る思いがする。
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 もう1週間前になるが、写真家の鬼海弘雄さんの写真展に行った話を書いた。
 27日土曜日にギャラリートークを聴いたら、とても面白かったので、翌日日曜日、時間を工面してまた行った。
(聴衆の右端が福田先生の奥様)

 鬼海さん、もうインドは行かないという。なぜ、インドか、なぜもう行かないのか。
 《1979年から2016年までで22回くらい行った。インドは「小さな永遠」というのをボツ、ボツ、ボツと教えてくれて、それで心がスッとした。》
 《インドの人たちを見てると、ヒト、人類というものを考えることができる。少なくとも時間を考えることができる。1万年という時間の幅でヒトを見られる。ここなら人間の普遍的なことを考えられると思った。》
 《2016年に行って、これでインドへの旅は完全に終わりです。というのは商品経済が回りはじめたから・・いままでいろんな人がいろんな定規とか尺度で物事を判断してそれぞれの時間を生きてたんですけど、(今は)みんな同じような(お金の)間尺で考えるようになると、顔も似てくるんだなあ、と思って。》
 そこで、私が「インドの人の顔はどう変わったのですか」と質問した。
 《インドの子どもたちは天使のようにかわいいんですよ。ところが、金持ちで学校に行く時に車で運ばれてくる子どもたちは、もう、山手線で慶應の帽子つけてる人たちと全く同じです。やっぱり生物(なまもの)じゃなくなっていくんだな、目玉が》
(金持ちは一部だけど)《スマートフォンとか誰でも手に入る。目の前にニンジンをたらすと、お金を持たない人でも、同じ価値観を持つから、村に行ってもやっぱり(顔が)似てくるんだなあと思う》
 グローバリズムは人の顔まで均一化しているのか・・。
 鬼海さんはさすがに「哲学する写真家」で、こんな話もした。
 《植物を育てる土壌が、腐食土とか、微生物があって自然でできてくる土地が最高なように、不思議なことに、山の澄んだ湖は、汚れた土壌をゆっくりゆっくり通ってきて、きれいなものになっていく。もしかして、民主主義という方式が成立するとしたら、頭のいい人が考えるロゴスの濾紙じゃなくて、そういう人たちの時代を経た濾紙でないと本物じゃないんじゃないか。それが、私が写真は誰でも撮ることができるということの本質的な意味だと思っています》
 うーん。むずかしい。ギャラリートークは、こういう話が山形なまりで続いていく。独特の雰囲気の空間である。 
 日曜のトークには、鬼海さんの恩師で哲学者の福田定良先生の奥さまが見えた。その奥様の前で、鬼海さんは「私はバカでしたから、先生にすっかりだまされちゃって、こんなヤクザな道に進んでしまいました」と言って笑った。その場にいた人たちに笑顔が広がった。こんな瞬間に立ち会えて、実に幸運である。