私利私欲なし 雪の富士仰ぎをり
こう年賀状に書いてあったのは、娘がお世話になった幼稚園の園長だった長谷川禮子先生。子どもたちをのびのびと遊ばせることを大事にする園で、「ジャングル祭り」という園最大の行事には、子どもも父兄も仮装して集まって踊るのだが、長谷川園長は「ジャングルの女王」として祭りを仕切った。奇妙な格好をして「うっほほ、ぱぴぺ」などとわけの分からない呪文を唱えながら登場すると子どもたちから歓声が上がる。楽しい思い出を作ってくれたすばらしい先生で、みなから尊敬を集めた人格者だ。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20070829
もう隠居されているが、お元気のようすで、なによりです。年に一度、ふだん会えない人とつながるのは年賀状という習慣のよいところだ。
長野県真田町に住む、旧友の桂木恵君からの年賀状には、この雪をかぶった南天の写真とともにこんな短歌が添えてあった。
わざわいを福に転ずる南天よ 津々浦々に今年こそ咲け
彼はながく社会科の教員を勤めたあと早期退職して、今は地域の歴史を掘り起こし啓蒙する活動をしている。最近の社会情勢に感じる大きな危惧をこう詠ったのだろう。すばらしい。
去年は「真田丸」の放送で、真田町はたくさん観光客があったことだろう。彼のところに遊びに行ったとき、真田家ゆかりの場所を案内してもらったが、人々が地元の歴史に愛着を持っていることを知ることができ興味深かった。
「真田丸」といえば、総集編を観て人気の訳が分かった気がした。武田の家臣からはじまって、織田、上杉、豊臣とボスを変えながら、一時は徳川の与力にもなっている。最後は兄弟で敵味方に分かれて、武勇の名を残しながら果てる一方で、お家は存続させた。歴史ものにはふだん興味を示さない娘が、番組を飽きずに最後まで一緒に観て、面白かったと言った。ある意味、ビジネスライクというか、企業や政治家を含む現代人の生き方に通じるものがあってすなおに話に入っていけるのだろう。
さて、南天だが、「難転」、つまり難を転じて福となすに通じることから、縁起木とされたそうだ。
あるサイトに「戦国時代には、武士の鎧びつ[鎧を入れておくふた付きの箱]に南天の葉を収め、出陣の折りには枝を床にさし、勝利を祈りました。正月の掛け軸には水仙と南天を描いた「天仙図」が縁起物として好まれたようです」とある。
うちは水仙を飾って元旦を迎えた。
新年そうそうトルコのテロが伝えられて先行きは不安だが、すべての人に安寧を祈りたい。