「伝統の森」への3回目の訪問

 きのうまでカンボジアに出張していた
 森本喜久男さんが作った伝統のクメール絣(かすり)の村「伝統の森」に、17日から19日まで2泊してきた。

 森本さんは末期がんだが、タバコも以前どおりぷかぷか吸って豪快に笑っていた。私の滞在中、日本人3人を含む11人の養蚕関係者の訪問があり、彼らと議論もしていた。この村には今年すでに1500人超の見学者が訪れている。

 彼と初めて会ったのは1984年だから32年前になる。タイのスラムの火事現場にカメラを持って駆け付けたらそこでボランティアをしていた森本さんと会ったのだった。

 3年前、彼と数年ぶりに会ったとき、余命宣告されていると聞いてから一気にひんぱんな交友が復活した。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20140109
 いま、私は彼のこれまでの生き方をまとめていて、来年の遅くない時期に出版の予定だ。また出版のさいはまたご案内しますので、ぜひお読みください。よろしくお願いします。

 この村は3回目だ。今回は取材・リサーチでの訪問だが、森の中に寝泊まりし、美しい夕焼けや満天の星空を眺めているのはたのしい。
 写真は村の沼からみた夕焼け。

 とくに17日の星夜は素晴らしかった。たぶん私にとって、これまででもっともたくさん星が見えた夜だった。「星ってこんなにたくさんあったのか」と感動する。首が痛くなるまで上を仰いでいると、一緒に行ったディレクターのTさんが「流れ星だ」と叫ぶ。見るとホタルだった。
この村での宿泊で楽しみの一つは、夜の闇だ。日本では、どんな田舎にいっても、人工の光源がまったく見えないという場所はないのではないか。近くに村落がなくとも、遠くの町や高速道路の光で夜空はぼうっとした明るみがある。でも、本物の闇が、この村にはある。夕方から夜10時まではジェネレーターで電気が使えるが、その後は星明りだけ。家々は寝静まって、まさに漆黒の闇である。
 静けさのなか、森の中から、無数の虫の音にまじって、ときおりケケケ・・と、鳥ともケモノとも分からない奇声が響く。暗闇の中でそれを聞いているこっちの感覚も野生に帰っていくようだ。
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 村の工房では、いつものように、機織りや糸紡ぎをするおかあさんたちのそばには子どもが遊んでいる。近代工業生産の論理では子どもを職場に入れたら生産効率が下がるし、生産品を汚す恐れもあるから、禁止されるのだが、森本さんは、この村では子連れの仕事はおかあさんに安心感を与え、その安らかな心は布のクオリティを上げるのだという。近代生産に慣れたわたしたちも、これを見てほっとさせられる。

 滞在中、ニュースというものにまったく接しなかった。新聞は来ないし、電気のない村なので、テレビを見ることもない。それで不自由することはない。
 昔から人はこうして、家族や周囲の人々とゆったりと暮らしていればよかったのではないか。政治なんて考える必要もなく。
 近代文明が私たちに何をもたらしたのか。人にとって何が幸せなのか。
 自然にそんなことを考えてしまう。