残すべき戦争の記録

カンボジアで伝統の絣を復興している森本喜久男さんが、日本での入院を終え、シェムリアップの村「伝統の森」に帰った。
FBには森本さんが村人に囲まれる写真が載っている。

「伝統の森に帰ってきたわたしを、可愛らしいバーナーが、出迎えてくれました。嬉しいですね、感謝いたします」と森本さん。
よかったね。
ゆっくり静養して、もうひと踏ん張りしてください。
・・・・・・・・
放送関係者でつくる一般社団法人「放送人の会」は12日、「放送人グランプリ2016」に、NHK「クローズアップ現代」で今年3月まで23年間キャスターを務めた国谷裕子さん(59)、準グランプリにNNNドキュメント「シリーズ戦後70年 南京事件 兵士たちの遺言」(日本テレビ)を選んだ。
http://mainichi.jp/articles/20160513/k00/00m/040/032000c
南京事件」は尊敬するジャーナリスト、清水潔さんが制作した番組だ。おめでとうございます。
この番組については、去年秋にこのブログで紹介してそのままになっていた。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20151019
あの番組を観て、兵士たちが書き残した「陣中日記」はとても貴重な資料だと思った。
それが、福島県の小野賢二さんという個人によって31冊が保存されてきたのだが、そのほかの膨大な日記は、顧みられぬまま散逸し廃棄されていったのだろう。こうした資料こそ公的な機関できちんと発掘、管理されるべきだ。
それこそ「世界記憶遺産」に登録してもいいのでは。
・・・・・・・・・
戦争の記憶という点で思い出したのが慰安所だ。
17日(火)の朝日新聞朝刊に「慰安婦問題を考える~慰安所の生活 たどる」という記事が載った。
慰安婦問題で叩かれた朝日がこうした記事を載せるのは勇気がいったろうが、この記事を書いた一人は北朝鮮による拉致問題の取材でよく現場で会った北野隆一さんだった。
慰安婦の《境遇や移動経路が(略)詳細に追跡できる例はそれほど多くない。今回はその一例として、韓国の文玉珠(ムンオクチュ)さん(1924〜96)が語った部隊名や地名を手がかりに、多くの日本兵らが犠牲となったかつての激戦地ミャンマービルマ)を訪ね、足跡をたどった》というのがテーマだ。
文さんの証言は具体的で実にリアル。『文玉珠(ムン・オクチュ)―ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった 私 』梨の木舎)は私のお薦めの本である。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20151228
この本を書いたのはライターの森川万智子さんで、私は面識はないのだが、去年、人づてに、ミャンマー慰安所だった建物がいま急速な開発でどんどん取り壊されていくのを憂慮していると聞いた。
森川さんが去年秋に新聞記者と現地を再訪したと聞いていたが、北野さんだったのか。
私は慰安所だった建物がいまも残っているということに驚き、森川さんが文さんの証言にもとづいて90年代から撮りためたミャンマーの映像を見せていただいた。
森川さんがミャンマーの田舎で「昔の日本軍の慰安所はどこか」と聞くと、お年寄りがすぐに場所を教えてくれ、思い出話を聞かせてくれる、そんなシーンがあって、風格のある古い建物が画面に現れる。
ここが慰安所か・・・映像から当時の雰囲気が伝わってくる。

写真はラングーンの慰安所、現在はYMCAの建物だ。こうした建物が各地に残っている。
http://fightforjustice.info/wp-content/uploads/2013/07/
(これはFight for JusticeのHPに掲載されている写真)

戦争の記録は、立場や解釈がどうであれ、残しておくべきだ。
オバマの広島訪問が話題になっている。
原爆ドーム広島県産業奨励館)は、1966年(昭和41年)に広島市議会が永久保存することを決議するまで、20年以上にわたって保存か解体かでもめていたのだが、保存されたことはよかったと思う。
米国の人道の罪を糾弾する立場であろうが、日本が戦争を始めたこと自体が間違っていたと考える人であろうが、原爆ドームはそれを前にして考えるよすがになっている。

アジア各地に残る慰安所の建物もしっかり映像で記録しておくべきだろう。