南三陸町で立ち上がる女性たち

takase222015-11-04

先週末、宮城県南三陸町に1泊2日で行ってきた。
南三陸町は大震災で6割の住居が全壊し、800人近い死者・行方不明者が出るという壊滅的な被害を蒙っている。
この町で活動するウィメンズアイ=WE(ウィ)というグループが、「WEとめぐる南三陸町」という被災地視察ツアーを企画した。ちょうど復興の様子を見たいと思っていたのでそれに乗っかったのだ。

盛りだくさんの内容で、多くの人たちと交流し、有意義な時間を過ごすことができた。
復興についてはおいおい紹介したいが、きょうは最も印象に残ったことを書きたい。
それは「人」だ。たくさんの尊敬できるすばらしい人たちと出会えたのだ。

例えば、阿部民子さん。

笑顔が実に素敵である。そして若い!大きな息子さんが3人もいるとはとても思えない。

夫婦でワカメなどの養殖をしていた民子さんは、津波で加工場も家も流されてしまい、目の前で近所のおばあさんが津波にのまれるのを目撃した。それ以来、ショックで海を見ることもできず一日も早くこの町を出たいと思ったという。夫婦仲もおかしくなり、ふさぎこむ日々が続いた。
それでも、何かしなくてはと、仮設住宅に住む高齢者を見回る支援員をして人々の声を聞くうち、前向きに生きようと思いはじめた。

集落の33軒のうち船が残ったのは民子さんの家1軒だけ。自分たちが立ち上がらなければ町の漁業が廃れてしまうと一念発起。
少しづつ仕事を始め、何度も挫折を味わいながら、今では「たみこの海パック」という4人を雇用する海産物通信販売の事業をきりもりしている。
http://www.tamipack.jp/
「艱難汝を珠にす」ということわざを実感した。


ここには元気な女性の企業家がたくさんいる。
こうした女性たちを側面から支えているのがWEだ。
起業した人に経営診断のコンサルタントを紹介したり、商品開発を支援したり、中越地震からの復興に女性たちがどう関わったのかを学ぼうと交流ツアーを組んだりと、アイディアを駆使して地道に女性のエンパワーメントを続けている。

WEスタッフのほとんどは東京など県外に住む女性たち。震災前にはボランティアなどやったことがなかった人が多いという。
多くは土日などを利用して南三陸町に通いで来ているが、中にはこの町にシェアハウスを借りて住み込んでいる人もいる。
彼女らが、ここまで入れ込んで息長く活動しているのはなぜか。不思議に思った。

ボランティアが「燃え尽き症候群」にかかって辞めてしまうことがある。
よかれと思って必死に「やってあげて」いるうち、次第に不条理感がたまってくる。それは心のどこかで期待している「見返り」(例えば感謝されるとか)が十分にないと感じるからだ。
一方、WEのスタッフは、義務感ではなく、支援することが楽しそうに見える。「活動家」によく見られる押し付けがましさもない。

聞くと、3.11が彼女らの人生観、価値観を変えてしまったようなのだ。
短い滞在で私が僭越ながら想像するに、ほんとうに人間らしい暮らしとは何かを、この地で考えさせられた。そして、人を助けることの喜びを実感したということではないか。
そのWEのスタッフがみな魅力的な女性ばかりだったことは言うまでもない。
(つづく)