カンボジアにいた時期に放送された番組を録画で観た。
今月4日放送の日テレ「NNNドキュメント」【シリーズ戦後70年 南京事件 兵士たちの遺言】はすごかった。さすが話題作だけのことはある。
放送後、ユネスコの「南京事件」記憶遺産の問題が出てきて、結果的にタイミングもよかった。
これは、桶川ストーカー事件の追求で知られるジャーナリスト清水潔さん(現在は日本テレビ社員、写真)が、福島県で中国に派遣された兵士たちの証言を集めてきた小野賢二さんの資料を検証していくドキュメンタリーだ。
(清水潔さんについては、かつて何度か書いたhttp://d.hatena.ne.jp/takase22/20150107)
南京事件については、東京裁判では20万人以上虐殺されたとして松井石根大将が死刑に処せられている。
中国政府が公式に死者30万人以上とする一方、死者数については諸説あり、なかには虐殺ではない、そういう行為自体がなかったとする説さえある。
ちなみに、日本政府の立場はこうだ。
「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。」(外務省ホームページ 歴史問題Q&A)
議論のポイントの一つが殺された人の人数だが、1000人でも30万人でも虐殺は虐殺、人数は関係ないという意見もある。
私は人数は非常に重要だと思う。
1000人なら、軍の統制がきかなかった個々の兵士や兵士グループが行った規律違反の狼藉と解釈することもできる。しかし、数日間に数万人規模で殺されたとなれば、組織的な指令の下に行われたとみなすしかなく、その指令は、指揮系統のかなり高いところから出たはずである。
責任の所在と罪の重さが全然違ってくる。
どんな材料を出してくるのか、期待して番組を観た。
番組は、南京攻略に参戦した兵士の証言と陣中日記を分析する。
福島県の小野賢二さん(66)は、27年にわたって南京攻略戦に参加した兵士たちの証言を聞き日記を集めてきた。話を聞いた元兵士は、会津若松の歩兵第65連隊と山砲兵第19連隊の200人。何度も通って信頼を得て陣中日記31冊を譲り受けた。
その中にはこんな言葉が書き連ねてある。(旧仮名遣いなど一部を変えた)
「捕虜せしシナ兵の一部5千名揚子江の江岸に連れ出し機関銃をもって射殺。
その後、銃剣にて思う存分突刺す。
自分もこのときばかりと憎きシナ兵を30人も突刺したことであろう。
山となっている死人の上に上がって突刺す気持ちは鬼をもひしがん勇気が出て力いっぱい突刺した。
ウーンウーンとうめくシナ兵の声。
年寄もいれば(略)一人残らず殺す。
刀を借りて首を切ってみた・・・・」
すさまじい臨場感である。
南京陥落が1937年12月13日。
これは12月16日の記述である。
なぜ、こんな異常な光景が出現することになったのか。
(つづく)
番組はyoutubeに複数アップされている。見逃した人は例えば以下で観られます。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/a43082ae3345585dd994135ca59ecfa4