ネパール地震取材で限界に挑戦する写真家

takase222015-06-01

出勤時、余裕があると、一つ向こうの駅まで歩くようにしている。
体にいいこと、何もしていないので。
途中、沼を通るのだが、そのほとりに、白い花菖蒲が咲いていた。
私は、カキツバタ、アヤメとはっきり区別できないのだが、背が高いのと水辺に咲いているので、たぶん花菖蒲だろう。
もう6月か。
時のたつのがとにかく速い。
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土曜日の『報道特集』に玉本英子さんが出て、「イスラム国」関連の取材を報告していた。
クルドに捕えられた「イスラム国」戦闘員インタビュー、「イスラム国」の襲撃で拉致され戦利品として売買までされた女性たちの証言、捕らわれた少女の救出作戦密着、軍事キャンプから脱出した少年の証言、最前線からのリポートと盛りだくさんの内容だった、
玉本さんは、10年以上、イラク、シリアの取材を重ねて、とくにクルド人関連の取材では第一人者。さすがに取材の厚みが違う。
玉本さんの取材は、海外に出しても十分に高く評価される水準だと思う。
頑張っているフリーランスジャーナリストの代表格の一人だ。
政府には、こういう取材活動を抑制することのないようにしてほしい。
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もう一人、がんばっているフリーを紹介したい。
ネパールの大地震では、首都カトマンズやヒマラヤ地区に取材や支援が集中しているなか、はじめから最も深刻な被害をこうむった震源地に入り、取材だけでなく支援活動も行っている写真家がいる。
石川梵(いしかわぼん)さんで、3.11のあと精力的に東北の被災地に入り、写真集『The Days After-東日本大震災の記憶』は日本写真協会作家賞を受賞している。

「グルカ兵」で知られるゴルカ地方の震源地に最も近いラプラック村は、標高2,200mの高地にある人口4千5百の大集落。山の斜面にへばりつくように建つ家々はほとんど跡形もなく崩れ、瓦礫と化していた。
村人は今、村よりはるかに高い標高2,800mの地点に青いビニールシートのテント村を作り避難生活を送る。ここからの眺めは絶景で、石川さんいわく「世界で最も美しい場所にある難民キャンプ」。
モンスーンの時期、斜面にある村が地滑りに巻き込まれる危険があるため、村人は、この地を捨てるという辛い決断に踏みきった。しかし、今のキャンプ地には水もなく、男たちが、下の集落から援助物資を人力で運び上げている状態で、長く住むことは無理だ。
新しく村をつくり直さなければならないのだが、交通が不便で、実情が伝わっていないこともあり、支援が圧倒的に不足しているという。

石川さんは何とかこの村を支援したいと、一人で「ラプラック村を救う会」を立上げた。
以下、石川さんのブログから。
「ネパールはすでに遠くなろうとしている。
ニュース報道はすでに消えた。人々が遠い異国の人々の困窮に、飢えている子どもたちに無関心でいられるのはなぜか。
その壁を取り除くものは知性でも教養でもない。おそらく愛でも想像力ですらないのかもしれない。
それは距離なのだ。
人は異国で子どもが飢えていても無関心でいられる。しかし隣人が転べば手を差し伸べずにはいられない。一人ひとりの顔が見え、気持ちが伝わるだけで人はもう無関心でいられなくなる。
写真家の仕事というのは、啓蒙することでも、訴えることでも、芸術作品をつくることでもない。ましてペシミスティックに批判を繰り返すことではない。
人と人の距離を縮める。
ただ、それだけに尽きる。
カメラを通して群衆の中の一人ひとりの顔が見えるようにする。それが人と人とのつながりが生まれるきっかけになる。
長い間写真家という仕事をやってきて、初めてそのことが分かった気がする。」

「写真で何が伝えられるか、ひとりの写真家に何ができるか、限界まで挑戦してみようと思う。人の顔が見える報道と、人の顔が見える支援。」
http://lamafa.blog38.fc2.com/blog-entry-205.html

彼はいったん帰国して、今は日本だが、数日中に再びネパールに向かうという。
よくやっているなあ。

自分は頑張っているのか・・・とわが身を振り返る。