人生の再出発を決意したモニカ・ルインスキー

takase222015-05-27

月末になると資金繰りの話になる。
3月、4月がきつく、何人もの方に延べ払いをお願いしたが、そのつけが回って今月も楽じゃない。
「私の資金繰り」も当然影響を受け、「銀行口座から引き落としできませんでした」のお知らせが来るはめになる。あらら、娘の学費もではないか・・金策しなくては。
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夕食後、テレビをザッピングしていたら、Eテレの「スーパープレゼンテーション」に、なんとモニカ・ルインスキーが出てきた。1998年、クリントン大統領との「不適切な関係」で、世界の注目を浴びたあの女性だ。
好奇心で観ていたら、どんどん引き込まれた。
彼女が「上司との不適切な関係」を持ったのは22歳の時。「22歳で過ちのない人はいるでしょうか」。たしかにそうだよね。
最後は感動してテレビに向かって拍手していた。堂々たる話しぶりで、ネットいじめに代表される、他人を辱める文化から脱しようと訴えていた。

自殺まで考えた自らの過去を声を詰まらせて語ったあと、屈辱に苦しむ人々に励ましを送り、前を向いて生きていこうと結んだ。多くの人に勇気を与えるいいスピーチだった。
どんなに酷い所からでも人生はやりなおしできる。そこに「利他」と「連帯」の精神が貫かれているのがすばらしい。
以下に日本語訳もついているので、関心のある方はどうぞ。お勧めです。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/
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報告書について続き。

安倍首相の中東訪問中、1月17日のカイロでのスピーチについても、あれでよかったと評価されている。しかし・・・

当時は、「政府としては、ISILにより、邦人2名が拘束された可能性が排除されないとの認識」だった、つまり、「イスラム国」に二人の邦人が捕まっていたことが分かっていたわけである。
そのタイミングで、安倍首相はISIL(「イスラム国」)を名指ししてこう言ったのだった。
イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。」

二人を真剣に助けようとするのであれば、ISILを刺激するこんな文言にはならないはずだと私は思う。
有識者からは、ISILと闘う周辺各国に対する支援というスピーチの表現については、日本側の意図とは異なるが、ISILにより脅迫の口実とされたとの指摘がなされた。
テロリストが政府の発言を都合よく曲解するのは当然であり、このようなテロリストの脅しに屈するべきでないのは言うまでもないが、有識者からは、善悪白黒の二元論ではなく、よりしたたかな発言を追求する必要があるとの指摘や、今回は必ずしもあてはまらないとしても、今後、人質を救出できる可能性があるような場合には、このように注目を集める対外的発信には十分に注意する必要があるといった指摘がなされた。》
この有識者の指摘は、ごく常識的でまっとうなものだ。

一つ、友人がカンボジアで体験したエピソードを紹介したい。
1997年7月、当時第一首相だったラナリットと第二首相のフンセンの権力闘争が内戦に発展し、首都プノンペンで激しい市街戦が勃発した。
夜になって、長期滞在していた友人が、日本人のたまり場になっていた食堂に行くと、常連が集まって、NHKのニュースを観ていた。

いまプノンペンにいる日本人は80人だと報じている。これは大使館に正式に届け出ている人の数で、食堂にいた長期滞在者たちはその人数に入っていない。じゃあ、名簿を作って大使館に知らせようということになった。
そこにいた十人ほどが、あのゲストハウスには誰それ、と知っている日本人を挙げていき、30人をリストアップした
日本大使館に電話して、「大使館が把握していない邦人の名簿を作った。ご承知おきいただきたいので、そちらに届けたい」というと、電話口の日本人職員は、こともなげに「ああ、では門番に預けておいてくれますか」と答えた。
それを聞いたY新聞の記者が激怒して大使館に抗議、しぶしぶ日本人職員が受けとることになった。
その夜には、すでに欧米諸国の大使館員は、プノンペン市内のホテルやゲストハウスを片っ端から回って、自国民がいないかをチェックしていた。同様の行動を日本大使館が始めたのは、2日後だった。

「日本の大使館は僕たちをほったらかしにして平気なんだな、と驚いた。あのとき作った30人の名簿は、記念に、今も持っているよ」と友人は言う。
〈span class="deco" style="font-size:medium;">安倍首相は、「人命第一」というが、これが日本大使館の邦人保護の実態だった。