素晴らしい夕焼けだった。
あ、いいな、と思って、スマホで写真を撮っていると、刻々と色が変わっていく。
空を見上げている若い女性が近くにいたので「夕焼け見てるの」と声をかけたら「きれいですね」とにっこり微笑んだ。
美しい自然の営みの前に、心が素直になっていくようだ。
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自画自賛に終始した「邦人殺害テロ事件対応検証委員会」の報告書について。
《2.12月3日から1月20日の動画公開までの間の対応》という項目に、こんな記述がある。
《12月3日、政府は、後藤氏夫人宛てに犯行グループから接触があったことを把握した。その後、1月20日までの期間は、湯川氏については、前期と同様拘束が疑われる行方不明事案であり、後藤氏については、犯行グループから後藤氏夫人宛てのメール送付により、何者かに拘束された可能性が高い(12月19日に確かな心証がもたれた)事案であった。》
信じられない・・・。
8月に湯川さんが捕まった映像が流れても、(「イスラム国」による)「邦人拘束事件」ではなく、年末までずっと「拘束が疑われる行方不明事案」というカテゴリーのままだった。そして後藤さんのケースでは、12月3日に後藤さんの奥さんにメールが入ってから2週間もすぎた19日になってはじめて「何者かに拘束された可能性が高い」と判断した、というのである。
こういう文章がよく書けるものだ。
繰り返すが、早くも9月上旬には、湯川さんの裁判のために常岡、中田両氏が「イスラム国」に呼ばれていたのだ。犯行グループが「イスラム国」であることは確実ではないか。
政府は湯川さんの件で、常岡、中田両氏に事情を聞くことすらしていない。
意図的に二人を無視している。
《政府としては、テロには屈しないとの基本的立場を堅持しつつ、人命を第一に対応し、12月3日以前と同様、事案の性質上秘密の保全に留意するとともに、静かな形で、関係国と緊密に連携しつつ、両名の安全のために何が最も効果的な方法かとの観点から、あらゆるチャンネルを最大限活用して対応した。》
もう、悪い意味での「作文」そのもの。
この一般的な文章が、まったく具体的に検証されていないのが報告書を一読しての最大の問題である。
肝心の《被害者救出に向けた措置》はどうか。
《メールで犯人と直接交渉しなかったのはなぜか》という論点について
《12月3日に犯人と思われる者から後藤氏夫人にメールが送付された後には、犯人から政府に対する直接の接触や働きかけがない中、政府としては、テロに屈すればかえって日本人が狙われることになるため、テロには屈しないとの基本的立場を堅持しつつ、人命を第一に考え、人質を解放するために何が最も効果的な方法かとの観点に立ち、過去の類似の人質事件の経験等も踏まえて、必要な説明・助言を行う等、後藤氏夫人の支援を行った。》
先ほどの文章の表現が繰り返されて、また「作文」になっているのだが、つまり、直接に政府が乗り出すと、テロに屈するかっこうになるので、後藤さんの奥さんにアドバイスするのにとどめました、というわけだ。
いま発売中の『GALAC』6月号は「後藤健二さんの死がテレビに残したもの」という特集を組んでいる。(私もこの中の「ジャーナリスト座談会」で発言させてもらっている)
寄稿者の一人、半田滋さん(東京新聞解説委員)が報告書が出るずっと前だが、こう書いている。
「奇妙なのは菅氏(官房長官)が『交渉について、後藤夫人が民間の専門家に相談し、対応している。それを警察、外務省がサポートしてきた』と話している点だ。国内で誘拐事件が起きた場合、被害者側に対応を任せるようなことは決してない。政府は国民の命を守るという責任を放棄したといわざるを得ない」
簡潔にしてズバリ本質をついた批判だ。